プロのバレエダンサーになるための道は、長く険しい。バレエは、地道な訓練を絶え間なく続け、身体を作りあげてようやく、プロへの扉が開く芸術。舞台でプロとして踊ることが出来るのは、ほんの一握りなのだ。
2021年秋に上演された新国立劇場バレエ団の『白鳥の湖』でポーランドの王女ソロを披露した根岸祐衣は、その1年前までCAとして3年間空を飛んでいた。4歳からバレエをやっていたとはいえ、長いブランクを経てプロになるというのは、非常に珍しいケースだという。彼女の、バレエとの出会い、決別、再会、そして今を聞いてみた。
バレエダンサーに「なる」と思っていた子どもの頃
——客室乗務員(CA)から、それも27歳でプロのバレエダンサーへというのは、珍しい経歴ですよね。
そうですね。バレエ団の新規団員オーディションの受験資格は18歳以上ですから、応募するのは20歳前の人が多いと思います。他のバレエ団から移ってくることもありますから、その場合はもう少し年齢が上の人も。でも私のように、まったく別の職種からというのは、珍しい例のようです。
——バレエとの出会いは?
4歳のときに母と『くるみ割り人形』を観に行って、自分もやりたくなり地元のバレエスタジオに通うようになりました。とにかく踊るのが楽しくて、おとなになったらバレリーナになるんだって、自然に思っていましたね。
——「夢」ではなく、「なるんだ」と?
はい。ですから、コンクールに出たり留学するのも、すごく自然な流れというか、そうするのが当たり前みたいな感覚でした。
————2012年には若手バレエダンサーの登竜門、ローザンヌ国際バレエコンクールに出場し、その後はハンガリーにバレエ留学。着々とプロへの道を歩んでいた20歳のとき突然の進路変更。何があったのでしょう?
留学を経験したことによって、私がプロのダンサーになるのは無理だと痛感したのです。
——どういうことですか?
日本にいた頃の私は、思うように踊れないのは、学校があるから、時間が足りないからなど、自分以外のところに理由を見つけようしていたように思います。だから、留学してバレエに専念したら、きっとうまくいくと。
ところが、留学先でバレエに没頭できる環境に身を置いているにも関わらず、成長できない…。周りのせいではなく、自分自身のマインドや意思の問題なのだという事実を突きつけられてしまい、私はそれを乗り越えられないと思ったのです。ハンガリーから帰国するときには、違う職業に就くことを決めていました。
——CAという仕事を選ばれたのは?
ハンガリーに留学してみて初めて自分の生活圏から外で過ごしたのですが、日本と外国の常識や価値観の違いなどに驚いたと同時に、沢山の気づきや学びがありました。その経験から自分の生活圏を出て様々な国に行くという仕事に魅力を感じ、客室乗務員を目指すことにしました。
——でもそれまでとはまったく違う分野の勉強をして、就職試験に合格するのは大変だったのでは?
頑張らないと何も成し得ないということは、バレエで痛いほどわかっていたので(笑)。やりたいことのために何か行動することが、ごく自然に身についていたんだと思います。