みんな働いてるのに、ひとり1日中スパムメールを眺める日々…

――財務省を辞めたあと、弁護士として6年間勤務されましたが、いかがでしたか?

はじめの2年間は、学校での勉強に近いものがあったのでよかったんですよ。指示があって、完璧に動くことのできる自分がいる。評価もすごく高かった。

それが2年目以降、上司から「自分の意見を言いなさい」「この案件について、あなたはどう思いますか?」と聞かれるようになるんです。

(時間が止まるポーズをしながら)「え? 私の意見なんて要ります? 興味ありますか??」とパニックです。自分の意見なんて持ったことがないですから。

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――その近辺から山口さんは、キャパオーバーに近い量の案件を受け出すんですよね。

弁護士事務所は一つでも多くの案件を任されることが、いい評価になるんですよ。だけど、私の場合焦って仕事量を増やすと、唯一の取り柄だったスピードが出せなくなる。睡眠時間が減って、ミスが増えて、また評価も下がっていくという悪循環になって……。評価の場を求めてメディアに出るようになったものの、コンサバな事務所にとってメディア露出はマイナスでしかない。それ以降は、明らかに案件をアサインされなくなってきたんです。

事務所のメンバーが目標に向かって一丸で頑張っている中、私はやることがなかったんです。出社して、朝から晩までスパムメールをチェックして。やることがないって辛いですよ。辛すぎて、悔しくて、帰り道に泣きながら歩いていたら、職質を受ける羽目になったんですけど(笑)。

――成績優秀だったとはいえ、若い女性が追い詰められていた。であれば、ご両親や周囲の人間にSOSを出すことができなかったんでしょうか?

言えませんでした。なぜなら私はエリート中のエリートで、ここまで(官僚から弁護士へ)のしあがったんだから、言えるわけがなかったんです。

あの時、プライドをへし折ってでもSOSを出せばよかったんです。両親は当時、やはり心配をかけてしまっていたので、助けを求めることはできませんでした。むしろ「弁護士事務所を辞めるのなら、ハーバード大学留学という物語をつくらねば」と必死でした。