「『私』を更新し続けるために書くということ」島田雅彦×金原ひとみ 『時々、慈父になる。』刊行記念対談_4
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「衒い」を捨てたその先で

――小説を書く上での必然性というお話がありました。『君が異端だった頃』と『時々、慈父になる。』はそういう意味で言うと、時代を証言する必然性に駆られた私小説だとも受け止めることができますね。

金原 これらの作品は島田さん自身が生きてきた証(あかし)のようなものだと思います。私小説か否かという議論にはあまり意味がないと言いましたが、『君が異端だった頃』のスタイルには自分自身へのアプローチとして新しいものを感じました。『文藝』で特集を組んだときに島田さんにご執筆をお願いしたのも、最近の作品で島田さんが自分のことを衒(てら)いのない形で書かれているのがすごく面白かったからなんです。それは今回の作品を読んでも感じました。
島田 ありがとうございます。衒いのない境地に到達するのはなかなか大変なんですよ。若い頃はどうしても衒っちゃいますからね。
金原 島田さんには大いなる衒いがあったんだろう、というのは想像がつきます(笑)。
島田 そうでしょ(笑)。最近になってようやくそのカルマから解放されつつある気がします。結局、その衒いというのは「俺が俺が」の自我から発生していると思うんですね。その自我が少し緩むと、この「俺」というのは基本的には俺だけじゃないことに気づくんです。要するに、俺の構成要素は他者である、あるいは環境そのものであると考えると、俺なんていうのは所詮、絶えず変化する関係性の編み目に過ぎないのだという悟りが開ける。
 だから、衒っている時代は「私」を書くとどうしても自慢話になってしまう。でも、それが消失してくると、「私」とは、環境や他者や偶然が折り重なったものが、「私」という身体と脳を通じて生じた一つの現象でしかないことがわかる。だからそういったものの記録を丹念につけていけば、それがそのまま「私」を表出することになるはずだと現在は考えています。
金原 衒いを持って離さなかった人がそれを捨てる瞬間には凄みがあります。最近では村上龍さんも『MISSING 失われているもの』などで私小説に立ち戻られていて、今改めてここに立つのか、と読者として感慨深いものがありました。脂が抜けたというか。歳を取って、自分のことを衒わず書くようになる瞬間にこそ、その人の魅力が立ち現れてくるということを教えられている気がします。
 特に若い男性は衒いが強いですよね。私の旦那もそのタイプで、私にはよくわからないプライドや意地を持っている人だったんですが、病気や怪我をした時にのみその衒いがなくなるなと、ある時気づいたんです。そしてそういう時にのみ愛おしさを感じられました。
島田 それ狙ってやってるのかもね(笑)。
金原 そうなのかな(笑)。でも、島田さんの今回の作品を読んでると、やっぱり男性にとってそういう境地は老いとともにやってくるのかなと思いました。そうして衒いが邪魔をして見えなかったところが見えるようになってくることで、受け取る側も心を開きやすくなるという効用もあるのかなと。
島田 そうかもしれません。晩年の仕事というのは創作意欲が高くて技術の脂が乗り切った時代の作品に比べて、独特の境地が現れるものなんです。ベートーベンもピアノソナタ第32番とか弦楽四重奏曲第12番以降の作品とかを聴くと、それ以前の古典的に構築された作品より、少し余裕が表れているのがわかる。ジャズじゃないの? と思わせるような、インプロビゼーションっぽさがあるんです。芸術家は構成美を追求するのに飽きてくると、型を崩していくわけですね。で、それにも飽きると型を破る。その結果、型通りも、型崩れも、型破りも全部含まれた自由な境地にたどり着けば、それがそのまま一つの進化になる。
金原 なるほど。一人の作家の作品を読んでいくと、すごく力が入っているように感じられる作品から、実験的なことをしたりジタバタしている作品、リラックスして書いているのだろうとわかる作品、と移り変わりがしっかり感じられることがありますね。
島田 大事なのは六〇歳を過ぎてもなおクリエイティヴでいられるか、ということです。柄谷行人は六〇歳にして『トランスクリティーク』を上梓し、新たな思想を切り拓いた。それは『世界史の構造』、そして近作の『力と交換様式』に繋がった。柄谷さんは現在、八一歳なのですが、その思考力は未だ衰えません。もう一つ僕の励みになっているのが、カントが六〇歳を過ぎてから『判断力批判』を書いたこと。そこから『永遠平和のために』などの彼のレイトワークが生み出されていったわけで、彼も還暦を迎えてから偉業を成し遂げている。フロイトだって八三歳で病に蝕まれながら『モーセと一神教』をこれまでの経歴を擲(なげう)つような覚悟で書いている。彼の晩年を見ていると、常にクリエイティヴでいるためには、それまでの仕事を自ら軽視する必要があるのではないかとさえ思わされます。そう考えると僕にはまだ二〇年ある。その間に、やれるだけの準備を始めなくてはならない。今回の作品を書いた裏には、そんな気持ちも多少ありました。
金原 考えてみれば、高齢になってからの自己否定とアップデートというのは、物書き以外にはあまりできないことかもしれませんね。じゃあ、島田さんもこれからレイトワークに入って、あそこが転機だったみたいに後々言われる本になるかもしれませんね。
島田 それは後世の人たちが勝手に言えばいいことです。長期にわたって仕事をする場合、それぞれの時代を切り取ると違う顔が出てきたほうがいいでしょう。谷崎だって、それなりに長生きしたから時代ごとの切断面で異なる顔が出てくる。そこを目指すしかないですよね。金原さんももうデビューして二〇年でしょ。僕は四〇年が経つんですが、最初の二〇年と後の二〇年だったら、後半のほうが圧倒的に速い。きっと金原さんもこれから時間が速く過ぎ去りますよ。
金原 ほんとですか(笑)? この二〇年も速かったんだけどな。でも、金太郎飴の話で言えばこれまでも、個人的には子どもが生まれたこと、恋愛や海外移住の経験、社会的な側面で言えば東日本大震災やパリの同時多発テロ、この数年の新型コロナでもそれぞれ揺らぎがもたらされて、社会と個が織りなすマーブル模様がその都度小説に現れてきたと思います。
 最近では、子どもが大きくなってきたことで、次のジェネレーションを意識するようにもなって、新作の『腹を空かせた勇者ども』では初めて中学生を主人公にしました。彼女らから見える世界を想像した時に、自分とは全く違うものが見えることに気づいたのは、子どもを持ったことの副産物だったと思いますし、その視点はきっとこれからの作品に強く作用してくるような気もしています。
島田 今後の作品が楽しみですね。
金原 私も島田さんのレイトワーク、楽しみにしています。


取材・構成/長瀬海 撮影/露木聡子

(2023・5・18 神保町にて)

「すばる」2023年8月号転載

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