同じ「物語を作るクリエイター」として感じる、
高畑勲と宮﨑駿への畏敬

――ぜひマンガ家の視点から見たジブリについても伺いたいのですが、ジブリの特徴の一つに「絵コンテへのこだわり」があると思います。

藤本 はい。ジブリの絵コンテは本当にすごいですよね。「後から出版用に描き直してるんじゃないか?」って思うくらい、絵としてしっかりしていると思います。

――『スタジオジブリ物語』でも絵コンテへの言及が多いのですが、なかでも宮﨑駿監督作品は、絵コンテを完成させないままスタッフによる作画が始まることが多く、非常に印象的です。ドキュメンタリーを観ていても、だんだん作画が追い付いちゃって、監督の絵コンテ待ちみたいになってる場面も……

藤本 ありますよね(笑)。『ONE PIECE』の尾田先生が「宮﨑監督は絵コンテをマンガ連載のように切っていく」と仰っていたんですけれど、僕も本当にその通りだと思っています。

 締切がどうこうっていうスケジュール面よりも、「仕事を発生させなきゃ」っていうプレッシャーがすごそうですよね。マンガ家のアシスタントどころじゃない人数のアニメーターを抱えているので、あの重圧は相当なものだろうなと思います。

――マンガの週刊連載的にコンテを切る宮﨑監督は特殊な例としても、「監督自身が原作マンガのように絵コンテを描いて、プロデューサーがそれを読む」というジブリ作品の制作プロセスには、マンガ家と編集者の関係に近いものを感じるのですが、藤本さんはマンガ家としてどう感じていますか?

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藤本タツキ氏

藤本 宮崎吾郎監督と鈴木敏夫プロデューサーの関係には、それをすごく感じますね。ただ、宮﨑さんにとっての”マンガ編集者”は、どちらかというと高畑さんだったんじゃないかって気がしています。ジブリの中どころかアニメ界全体を見ても、宮﨑さんより教養がある方って高畑さんただ一人しかいなかったと思うので。

――高畑さんと宮﨑さんの、あの凄まじいほどの教養って一体なんなんでしょうね。あらゆる分野を見ても、あのレベルのクリエイターが他にいるのか、これから出てくるのかというと、首を傾げてしまう部分があります。

藤本 あれはもう別格ですよね。クリエイターの教養をめぐっては「アニメだけを観てアニメを作る世代」みたいな、オタク論みたいな話もありますけど、高畑さんと宮﨑さんはそういうレベルの話じゃないと思うんですよ。だって、あの時代のアニメーターがみんなあれくらい頭がよかったかというと、絶対にそうじゃないですよね。たまたまものすごい教養を持っていた高畑勲という人がいて、宮﨑駿が彼に出会い、たまたまついていく機会があった。それは奇跡ですよね。

――まさに。

藤本 例えば、宮崎監督はいろんな国のことを知っているから、特定の国やその組み合わせでファンタジー作品の舞台を作れるんですよね。でも、今の僕たちのような30〜40歳ぐらいのオタクの人たちは「ファンタジーを描け」と言われたら、『ファイナルファンタジー』的なゲームの世界観になっちゃう。

――いわゆる「異世界転生もの」の異世界って、基本的にはRPGの世界が根底にありますもんね。

藤本 新海誠監督が日本を舞台に作品を作り続けているのって、日本を舞台にした作劇が、一番自分が戦える領域だと考えているからだと思うんですよ。それでいいと思うし、ゲームのような世界もそれはそれで間違っていない。

ただ、教養的な面で「宮﨑駿監督みたいに作品をつくれる人は今後いなくなるんだろうな」とは思います。もちろん取材をすればそういう作品づくりもできるとは思いますけど、実感として、そういうお金をかけた取材旅行ができる人はもういなくなるだろうなって感じがします。

――『風の谷のナウシカ』(以下、『ナウシカ』)は宮﨑監督本人によるマンガ連載を原作として映画化されていますよね。

藤本 マンガは一人でコントロールできるぶん、実写やアニメよりも作家性が出やすいんですけど、マンガ版『ナウシカ』はそうした楽しみ方もできますよね。宮﨑さんはやっぱりマンガ家としても一流だと思います。構図力がすごくて細かいコマ割りをしているのに見やすいですし、話の作り方も本当に上手い。

あとは「線」が印象的ですね。僕も本当は自分のマンガでもっと線を描き込んで陰影をつけたいんですけど、週刊連載ではどうしてもそこまでできないんですよ。だから、月刊連載以下のペースじゃないとできないマンガ版『ナウシカ』の線の描き込みはうらやましいです。

――しかも『ナウシカ』を連載していた『アニメージュ』はマンガ雑誌じゃなくアニメ雑誌なので、「雑誌が売れる作品を」「毎回続きが気になる展開を」といった、連載マンガでは当たり前の要求もほとんどなかったはずですからね。そういう意味では、非常に特権的なマンガでもあったと言えると思います。

藤本 バンド・デシネ(注:フランス語圏を中心としたマンガ。日本のマンガと比べて描き込みや彩色などがきめ細やかで「アート性が高い」と言われる傾向にある)みたいでいいですよね。「妥協をせずに1冊描きたい」というのは、絶対にどのマンガ家も思っていることなので。

――藤本さんの作品だと『チェンソーマン』第1部終了の後に発表された長編読切『ルックバック』がまさにそういった作品ですよね。

藤本 そうですね。僕が『ルックバック』を描いたときは、『チェンソーマン』がヒットしたおかげでアシスタントさんに長期間お金を払ううことができる状態になっていたし、ついてきてくれる人たちがいたからできました。でも、新人マンガ家さんが1冊を好きなだけ時間をかけて描くというのは、絶対に金銭的に無理なんですよ。それをオーケーしてくれる出版社も……どうなんですか?

『ルックバック』(集英社)
『ルックバック』(集英社)

 今の出版社は、時間的に待つことは待てると思います。でも、先にマンガ家さんのお金がもたなくなってしまうんですよね。生活費も含めて。

藤本 やっぱりそうですよね。とはいえ、妥協なしで作る作品がベストなのかというと、別にそうでもないのがおもしろいんですけどね。

――そうですね。

藤本 そういう目線から見ても、やっぱりジブリってすごい特殊なスタジオだと思いますね。あの商業性と芸術性を両立させているバランス感というか……。だって、高畑監督のお金の使い方に関するエピソードとか、ものすごいじゃないですか。

――『風の谷のナウシカ』のヒットで宮﨑さんが得たお金を資金として映画を作り始めたけど、予算オーバーして宮﨑さんが自宅を抵当に入れかねない事態に陥ったとか、すごい話が残っていますよね。しかも、そこで撮った作品が『柳川堀割物語』という、福岡県にある川を題材にした実写ドキュメンタリー映画ですから。

藤本 そう(笑)。僕は結構ドキュメンタリー映画が好きなんですけど、それでもあれはなかなか観るのが大変な内容でしたね。まさに「記録映画」って感じで。

――エンタメ性が皆無に等しい内容ですからね。ソフト化に際しても「ジブリ学術ライブラリー」というシリーズに入っています。

藤本 でも逆にいえば、宮﨑駿監督のすごさの一つは「商業性と芸術性を両立させているところ」なんですよ。普通はあそこまで両立できないですから。しかも、人物と一致していない。本当にすごいことですよ。

――「人物と一致してない」というと?

藤本 宮﨑監督って世間的には「芯を曲げない堅い人だ」と見られていると思うんですよ。でも、作品はめちゃくちゃお客さんに寄り添ってるんですよね。そうして観客の側に寄り添いつつも、ちゃんと監督本人が伝えたいことが伝わってくる。あんなこと、普通はできないです。

――高畑勲さんの背中を見ていたからこそ得られた、奇跡的なバランス感覚なのかもしれないですね。

藤本 高畑さんは本当に大きな存在ですよね。すべてが一流ですから。なので、僕は「新作『君たちはどう生きるか』は高畑勲さんに向けた映画になるんじゃないか」って思ってます。そこまでの動機がないと「長編映画を再び作ろう」という欲求は生まれず、短編映画で間に合っていたような気がするんですよ。そこら辺も含めて、新作はすごい楽しみですね。

――『君たちはどう生きるか』は宮﨑監督にとって何度目かの引退撤回を伴う新作ですけど、藤本さんはクリエイターに本当の引退ってあると思いますか?

藤本 うーん。ちょっとわからないですけど、『推しの子』原作の赤坂アカさんが「自分では絵を描かない」と宣言したじゃないですか。あれは「いいな」って思いました。「俺もそうしたい!」って(笑)。

――(笑)。

 あれは「原作で行くぞ」っていう覚悟を感じてかっこいいと思いましたね。

藤本 その後にやっぱり絵を描き始めてくれてもうれしいし。

――藤本さんの中では「話をつくることに集中したい」という思いもあるということですか?

藤本 はい。絶対そっちのほうが楽しいと思います。

――逆に、絵だけを描く方向に行ってみたいという気持ちは?

藤本
 それはないですね。話と絵を両立させる楽しさはもちろんあるし、話だけの楽しさもあると思うんですけど、絵だけとなると、僕の場合は皆さんに届けるときに狭い世界になっちゃうと思うので。