いまでは俳優、監督、脚本家としてテレビや映画で活躍する佐藤二朗さんだが、20代の頃は2度の一般企業への就職と辞職を経験するなど「二度と戻りたくない、暗黒の時代」だったと振り返る。
映像作品へ進出する転機は31歳のときだった。「自転車キンクリート」の公演で舞台に立っていたところを、たまたま演出家・堤幸彦が目にして、本木雅弘主演の単発ドラマ『ブラックジャックⅡ』(00年/TBS系)に1シーン、セリフがわずかな小さな医者役に抜擢。それがキッカケで現在の所属事務所へ迎えられることになり、その後活躍の場をドラマや映画に広げていったという。
毎日1500円渡されて「これでしのげ」と言われていた日々。
――20代の頃には「二度と戻りたくない」とよくお話されています。
そのことは本でも書かせていただきましたし、ずっと言ってきました。でも、よく考えたら妻とも20代の頃に出会っていますし、いまも仲のよい舞台演出家で劇団「自転車キンクリート」を立ち上げた鈴木裕美さんに会ったのも、堤幸彦さんに会ったのも20代ですからね。
まあ、それは20代の終わり頃で、20代に戻りたいかと聞かれたら確かに戻りたくはないです。物理的にお金がなくて、風呂なしのアパートに住んでいたということもありますし、なんの根拠もなく自分は俳優になるために生まれてきたんだってバカみたいに信じていながら、それはいまでも信じているんですけど、そこにまったく近づけなかったわけですから。
夏の稽古帰りに、家に帰ってもエアコンはないし、決まった時間までに銭湯に行かないと風呂にも入れない。当時の彼女、いまの奥さんに毎日1500円渡されて「これでしのげ」と言われていた日々。交通費とか小遣いを全部含めて1500円ですから、飲みに行くなんて絶対無理ですし、なかなかきつかったですよ。
――いわゆるヒモ的な感じだったのですか?
いや、二人でバイトしながらですね。僕が正社員で働いているときも、彼女は派遣でバイトなどをしていました。妻とは劇団の研究所で出会っているのですが、妻は早々に芝居をやめ、それ以降はまったく未練ナシみたいです。