僕も格闘シーンでは変なことをやってるんですよ。どんな変なことをやってるかというと、小説でいきなり関係のない音楽のシーンにしたりしてね。
例えば僕の『東天の獅子 』(2008年〜)という物語では、明治時代に講道館柔道と古流柔術が戦うんです。
九州の古流柔術家の中村半助師範と講道館四天王の横山作次郎が戦うシーンがあるのですが、二人が戦っている間に戦いが音楽になってゆくシーンなんか書いてるんですよ。
片っ方がピアノの音で片っ方がヴァイオリンの音でその二つの音がもつれ合いながら青い空を登っていってね。実に気持ちのよいところで、なんともいい音楽が聴こえ「おれたちは天国にいるのか!?」というくらいの心地よさでその音楽を聴いてるんだけど、それが段々音が濁ってくるんです。で、音楽そのものである彼らが、その濁った音に負けて段々重力を取り戻していきます。
天空でお互いセッションしていたはずの音楽が徐々に朽ちてゆき、それで最後には落っこちてくる。その落ちたところが疲れ切った自分の肉体であった――と僕は書くんです。他にも一緒にお酒を飲んでるシーンを書きながら、それが実は戦いのシーンで、イメージとしてお酒を飲んでるシーンに置き換える、という風にやったりしています。
それがね、今考えてみれば、谷口さんの描かれた『青の戦士』の、そのシーンの影響を受けていると思ってるんですよ。
今回見直して分かったんですけど僕はそれにびっくりして、そういうテクニックを発見しちゃったんですね。だから格闘技シーンにいきなり比喩としての音楽を突っ込んだりする。読者が突然びっくりするような形で分かるようにやってるんですけど、それも楽しくてしようがない。その原因はこのシーンですよ。今回こちらを見直して「おお! これだこれだ」と思って。あらためて驚かされたんです。
そして、このコマ(※3)です。
「あのころ………俺は奴ほどに神秘的(ミステリアス)でセクシーだったか?」というこの台詞がとにかく好きで。演出とか構図だけじゃなく、僕はこの言葉にかなり影響された自覚があります。