どこかで作家は目をつむって
書かなければいけなくなる
今村 節目節目に、北方先生が対談を受けてくださって感謝しています。初めてお目にかかったのは一六年三月の「九州さが大衆文学賞」の授賞式ですから、六年前ですね。
北方 あのとき会って、ちゃんと話しておいて、よかったよなあ。
今村 ほんま、そうなんですよ。あのときは緊張していてとても訊けなかったので、今日初めて伺うんですけど、北方先生は、祥伝社の編集者に長編を書かせてみるといいとおっしゃってくださったわけですが、なんでそう思われたんですか。受賞作の「狐の城」は短編で、しかもへたくそでしたから……。
北方 小説の言葉の選び方には、短編の言葉の選び方と長編の言葉の選び方とがあって、あれを読んで、明確に長編の言葉の選び方だと思った。そういう言葉を選んでいけば、必ず長編が書けるだろうし、この人の資質は長編にあるなと思ったんだよ。
今村 北方先生、あのとき脅してきたんですよね。「作家を本気で目指すならば、一作に半年も掛けていてはいけない。三ヶ月ほどで書きあげないと。できるか?」って(笑)。
北方 そしたら、「ひと月で充分です」って答えてさ。
今村 それでほんとにその一ヶ月で書き上げたのがデビュー作になった文庫書き下ろしなんです。正直、家帰ってから余計なこといったなあと後悔したんですけど、一ヶ月、ほんと、死ぬ気で書きました。
北方 そういうのが糧になるんだよ。いま、どのくらい書いてるの?
今村 原稿用紙、月に五百枚くらいです。
北方 五百か。それ、年齢的にはあと十年続けられるよ。俺がそうだった。月に五百枚書いて、それで単行本一冊。「月刊北方」って感じで書いてたんだけど、そんなときに三ヶ月も海外旅行に行ったりもした。人間のエネルギーって不思議でね、時間がたっぷりあると旅なんか行かないんだけど、時間がないとなんとかして行こうとする。だから締め切りを前倒しして、十二ヶ月分の原稿を九ヶ月で書いたりもした。
今村 それはおいくつくらいのときですか?
北方 四十代かな。
今村 いま振り返ってみて、その時期って必要でしたか?
北方 わからない。そういうときって、人間の生命力が横溢してるんだよ。そうすると時間がないのに何でもやっちゃう。
今村 『小説現代』(二〇二〇年四月号)の対談のときだったと思いますが、北方先生が「どこかで作家は目をつむって書かなければいけなくなる」っておっしゃってましたよね。迷いながらでも書き続けなくてはならないという意味だとぼくは解釈しました。
北方 特に賞をとったりして仕事の依頼が急に増えてくると、忙しくて目をつむらないと書けなくなる時期が出てくる。もちろん、目をつむっていても自分の頭の中ではきちんと書いていて、そこには覚悟のようなものもあるんだけどね。ところが、そういう時期になぜかみんな傑作を書こうとする。傑作なんて、書こうと思って書けるものじゃなくて、無数に書いてるうちに生まれてくるものだろう。
だから若手の作家は、ある時期になったら目をつむらないといけない。傑作を書こうとする瞬間に手が動かなくなって書けなくなってしまう。なんで書かないんだって訊くと、自分が納得できるものが書けませんって。自分が納得する、しないじゃなくて、読者が納得すりゃいいんだよっていうんだけどね。
今村 ぼくも、自分でめっちゃいいと思って書いたものでも反応が悪かったり、いまいちやなと思っても、すごく反応がよかったりというのがよくあります。自分の中でのこだわりと読者の見方とは違うのかもしれない。
北方 全然違いますよ。しかも、読者にこう読んでくれとはいえない。読者は読者でそれぞれ勝手に読む。だから、読者がどう読むかなんてのを作家はいちいち考えずに、とりあえず面白いものを書けばいい。その面白さの中に深いものを感じとってくれる読者もいるし、ただ面白がる読者もいる。
今村 確かに、ぼく自身あんまり意識せずに書いたところでも、読者がそこから意味を拾い上げて、読者の中で勝手に作品が染まっていく瞬間を感じたことが何回かあります。
北方 長いものを書いていくと、意図しないところで「書けちゃった」というときがある。たとえば『塞王の楯』の中で、京極高次が最後の決断を下すときに思わず微笑む瞬間とか、ああいうのは、書こうと思ったんじゃなくて、書けちゃったんだろうと思う。書けてしまっているのがいっぱいあるのが、いい作品なんだよ。
今村 確かに、あそこ、特に何も考えてなかったかもしれないですね。
北方 京極高次は、あの作品の中でもっとも魅力的な人のひとりだよ。書こうと意図して書いたんじゃなくて、自然の流れで書けたからこそ、魅力的になっている。あんな風に人を魅力的に書けるってのは素晴らしいことだと思うよ。
今村 ほんまですか? うれしいです。