「外国で暮らすために大切なことはなんですか」と訊かれることがある。おそらく「順応性」だとか「その国の文化、歴史への理解」といった心構えの話を期待されているのだろうが、実のところ外国暮らしのために最も大切なのはビザとお金である。心構えは暮らすうちに否応なく会得していくものだが、ビザがなければそもそもその国に暮らすことはできないし、そのビザはお金(または収入源)がなければ出ない。

 9年前、ここポルトガルに別荘としてC荘を買ったのも、この地に魅力を感じたのはもちろんのことだが、ちょうど夫が親戚から多少まとまった額の遺産を相続したという現実的な理由からでもあった。当時もすでにポルトガルの不動産価格は上がりつつあったとはいえ、山奥の物件はまだまだドイツでは考えられないほどの安値だった。

 2021年にベルリンのアパートを引き払い、ポルトガルに完全に居を移したときも、決意を後押しする大きな要因はお金だった。アパートは賃貸だったので、住んでいようがいまいが毎月家賃が発生した。それでも長年住んできたアパートにも街にも愛着があって維持していたが、2020年以降、ドイツのコロナ政策と、それによって急激に変容した社会に対する驚愕、憤り、恐怖のあまり、ベルリンに住み続けたいどころか、とにかく一刻も早く逃げたいとしか思えなくなった。そうなると家賃を払い続けてまで住居を維持する意味はもはやなかった。



 さて、ドイツから来ると、ポルトガルの物価はずいぶん安く感じられる。食料品の値段は感覚的にはドイツの3分の2くらいだ。以前はジャガイモが1キロで70セント(約100円)ほど、タマネギも同様、ニンジンなどは1キロ50セントだった。

 いま西側諸国はロシアに対する制裁措置などの結果どこもインフレが激しく、EUの一員であるポルトガルでも野菜の値段はほぼ倍になってしまった。パンも以前は1キロほどの大きなものが1ユーロ(約150円)で買えたが、いまではほぼ1.5倍だ。チーズやバターも40パーセントほど値上がりした。卵の値段も倍になり、現在は12個で3ユーロ。

 ポルトガル人は米を多く食べるため、店には安価で種類も豊富な米が並ぶ。以前は種類にもよるが1キロ80セント(約120円)ほどだった。日本米に近いカロリーノという種類の米は、これまで少し贅沢をして特定の銘柄のものを買っていた。それでも驚きの1キロ1.3ユーロだったが、いまは2.1ユーロになった。ドイツで買っていたイタリア産の米「日の出(ふりがなはなぜかShinode)」が1キロ3ユーロだったから、冷静に考えればまだまだ安いのだが、以前の値段とのギャップにひるんで買えなくなってしまった。いまは最安値の1キロ1.5ユーロのものを買っている。

お金と山奥のほろ苦い関係【ポルトガル限界集落日記】最終回_1
スーパーにはさまざまな種類の米が並ぶ。お気に入りの銘柄の米もずいぶん値上がりしてしまった
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 もちろん、それでもドイツに比べればまだ安い。最近ドイツから訪ねてきた友人に「バターが2ユーロもするんだよ!」と言ったら、「ドイツは3.5ユーロだ」と返されて絶句した。安くてボリュームのあるベルリン屋台飯の定番であるケバブも、いまはなんと6ユーロするそうだ。現在のレートで約900円だから、もはや気軽に買えるファストフードではない。

 しかし、ドイツの基準で考えて物価が安いと無邪気に喜ぶのはよほどの無知か、さもなければ傲慢だ。ポルトガル人の収入はヨーロッパの平均よりずっと低い 。国民の平均年収が22000ユーロ(300万円強)、最低時給は4.5ユーロ(700円弱 )。ドイツ人の平均年収が49200ユーロ、最低時給が12ユーロだそうだから、ポルトガル人の収入はざっくり言ってドイツ人の半分以下ということになる。ところが物価は決してドイツの半分ではないから、総じて生活は苦しいはずだ。

 しかも携帯電話やコンピュータなどの電子機器や家電製品の値段はドイツと同じだし、日焼け止めなどの化粧品はむしろドイツより高い。車も同様、ドイツよりも高価だ。さらに付加価値税は23パーセントとドイツの19パーセントより重いうえ、社会保険料も非常に高額だ。



 友人のグラシンダは「デイセンター」に勤めている。地域のお年寄りの家を回って掃除など家事の手伝いをする仕事だ。決して高給取りではないだろう。離婚して、最寄りの町の賃貸アパートで暮らしている。家賃に母親の介護施設代と、離婚前より出費が増えているはずだ。どうまかなっているのだろうか。

 しかしグラシンダの暮らしには、少なくとも傍から見てわかる窮乏感はまったくない。さすが地元では顔がきくだけあって、つてですぐに見つかったというアパートは、家賃がいくらなのか知らないが、2世帯で住めるほど広い。実際、子供たちが家族ともども帰省して何日も泊まっていく。

 おまけに仕事で訪問する家で果物や野菜などをあれこれもらってくる。いつ訪ねていっても、バケツいっぱいのジャガイモだとか、キャベツの山だとか、籠に山積みの果物だとかがある。私たちもグラシンダを訪ねるときは、庭のオレンジやレモンやイチジクなどを持っていく。子供のころからよくC荘に出入りしていた彼女は庭のオレンジの木々を熟知しており、味でどの木のものか言い当てることができる。

 人口2000人の小さな田舎町とはいえ、シティライフを楽しんでいるようで、夜にカフェでコーヒーを飲みながら友人たちとおしゃべりをしているところによく出くわす。村に住んでいたときにはできなかったちょっとした楽しみなのだろう。





 そもそもカフェはポルトガル人にとっては娯楽というより日常生活の一部。コーヒーも最近値上がりしたとはいえ70セントほど。以前は60セントだった。ビールやワインも同様で、庶民でも気軽に飲める値段だ。

お金と山奥のほろ苦い関係【ポルトガル限界集落日記】最終回_2
カフェはポルトガル人の生活の一部。写真は2021年12月、大学都市コインブラにて。ドイツではロックダウンをしていた時期だが、ポルトガルのカフェはいつもどおり賑わっていた

 だから皆がよく奢ったり奢られたりする。カフェに入ると、顔見知りの先客からの奢りだといって、勝手にビールが出てきたりする。

 また、町で友人や知人に出くわして、ちょっとカフェに行こう、と誘われることも多い。この場合どうも誘ったほうが奢る暗黙のルールがあるらしいと知ったのは、何度かこういう場面を経験した後だった。

 一度、そんなルールを知らなかったころ、S村に住むマリアおばさんに町でばったり会い、誘われてカフェに入った。年金暮らしのマリアおばさんは決して裕福ではないだろうと勝手に考えた私は、浅はかにも自分が奢るつもりで、コーヒーだけでなく好物のチキンパイ(1ユーロ)まで注文してしまい、支払いのときに青くなった。マリアおばさんがどうしても自分で払うと譲らなかったからだ。1ユーロが彼女にとってどれほどの重さなのかがわからない。結局その場はありがたく奢ってもらい、その後はおばさんに出くわすたびに、「カフェ行きましょう!」とこちらから食い気味に誘いをかけるようになった。

お金と山奥のほろ苦い関係【ポルトガル限界集落日記】最終回_3
コーヒーとチキンパイ(エンパーダ・デ・ガリーニャ)