ポルトガルはワインの国だ。ドイツやフランス、スペインのワインのような世界的な知名度はまだないとはいえ、大規模なワイン農家から個人の小さな畑まで国じゅうがワインを作り、ワインを飲む。

 ここポルトガルの山奥に家を持つまで、ポルトガルワインと言われても、ポートワインのほかにはなんのイメージも持っていなかった。

 ところが、我がC荘には代々の持ち主が丹精してきたブドウの木があった。庭と呼ぶには広大すぎる敷地は段々畑のようなテラス状になっていて、それぞれのテラスを古いブドウの木々が縁取っている。

愛と憎しみの自家製ワイン【ポルトガル限界集落日記】第5回_1
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愛と憎しみの自家製ワイン【ポルトガル限界集落日記】第5回_2
C荘には代々の持ち主が丹精してきた古いブドウの木々がある

 近所に住むアントニオは、1970年代までC荘の所有者だった人の甥にあたる。若いころに叔父を手伝ってC荘で農作業をしてきた彼は、この土地にひとかたならぬ思い入れがあり、叔父夫婦亡きあとは都会に住むいとこたちに代わってC荘のブドウとオリーブの世話をしてきた。

 さて、そこに現れたのがずぶの素人である私たち夫婦だ。日本の町で育った妻にとってワインは飲むものであって造るものではないし、夫のほうは農家の出身とはいえ、その農家はブドウなど育たない北ドイツにあった。

 けれどC荘の土地にたくさんの果樹を植えて懸命に世話をする夫は、アントニオにそのやる気を見込まれ、手取り足取り教えてもらいながらブドウの世話にも取り組むことになった。

 いっぽう私はといえば、我が家のブドウがなんという品種なのか、どれがドイツでなじんだ品種のどれに当たり、どれがポルトガル独自の品種なのか、何度説明されてもすぐに忘れてしまう始末である。当然、ブドウ栽培の詳細をここで披露できるほどの知識はない。

 そんな私がワイン造りにかかわる唯一のときが、9月のブドウの収穫だ。

 天気予報を見てアントニオが日取りを決め、一日はうちを含むいくつかの小規模なブドウ畑、翌日は一日かけてアントニオの広大な畑で収穫をする。固定メンバーである村の男3人に私たち夫婦などが加わり、毎年5-6人で取り組む。

 うちのブドウもアントニオのブドウも、同じ時期に同じ世話を受けてきたはずなのに、アントニオのブドウのほうがはるかに立派なのには毎回感心する。

 ブドウ収穫は重労働だ。夏の盛りは過ぎたとはいえまだまだ強烈な日差しのもと、ひたすらブドウを摘んでいくのは激しい仕事だし、おまけに休憩と称してしょっちゅうアントニオのワイン蔵でワインを飲むものだから、私ごときではとても体力が持たない。

 昼ごはんにも要注意だ。一昨年は、一緒に収穫をしたマリアさんが大鍋いっぱいの「フェイジョアーダ」を作ってきてくれて、12時ごろに早めのお昼になった。フェイジョアーダとは豆、肉、ジャガイモ、野菜を煮込んだ料理なのだが、都会のレストランで出される上品バージョンとは違って、マリアさんの大鍋には豚の全てが入っていた。私の苦手な脂身などかわいいほうで、明らかに耳や爪先とわかる形の塊がごろごろ転がっていて、気が遠くなりかけた。

「嫌いだったら食べなくてもいいからね」と差し出された私の皿には糸こんにゃくに似た白くて長いなにかが入っていた。訊いてみると豚の腱だという。

 皆の期待の目が注がれるなか、覚悟を決めてすすってみた腱は、特になんの味もない柔らかい物体で、拍子抜けした。

 なんだかんだ言っても手作りフェイジョアーダの味は素晴らしく、耳や足を避けながらもがつがつ食べたものだから、当然のことながらワインも進んだ。午後、フェイジョアーダとワインの詰まった体での仕事が辛かったのは言うまでもない。

 昨年はマリアさんが不参加だったため、午後3時過ぎまでぶっ通しで働いて、その後に炭火で肉を焼くといういつものスタイルに戻ってほっとした。

愛と憎しみの自家製ワイン【ポルトガル限界集落日記】第5回_3
アントニオの畑のブドウ。C荘のものに比べてはるかに立派

 さて、収穫したブドウは、かつては足で踏んで実を潰したそうだが、現在ではアントニオが所有する機械に通す。すると茎が取り除かれ、潰れた実と果汁とがポンプで巨大な桶に移される。その瞬間からすでに発酵が始まり、果汁が泡立ち始める。
 桶のなかで皮と果汁が分離され、翌日、アントニオが果汁だけを木の樽に移す。それからは一日数回かきまぜ、11月ごろ発酵が止まればワインの出来上がりだ。その年のブドウの収穫量によって、700から800リットルほど。

愛と憎しみの自家製ワイン【ポルトガル限界集落日記】第5回_4
愛と憎しみの自家製ワイン【ポルトガル限界集落日記】第5回_5
愛と憎しみの自家製ワイン【ポルトガル限界集落日記】第5回_6
収穫したブドウはアントニオの持つ機械に通す。果汁が発酵を始める

 こうして手間暇かけて造ったワインだが、我が地方では商業販売はしていない。お洒落なボトルもレーベルもない。樽から直接コップ(ワイングラスにあらず)に注ぎ、持ち運ぶときはペットボトルに入れる。

 長年暮らしたドイツの首都ベルリンでも、ワインはよく飲まれている。けれど、あくまで酒のひとつだ。一方ポルトガルの田舎では、ワインはほとんど水と同様、日常生活の一部として欠かせない存在である。

 たとえば、ドイツでも日本でも、家を訪ねてきた人には「コーヒーでもどう?」と勧めるのが一般的だが、こちらではそれが「ワインでもどう?」になる。

 どの家にも「アデガ」と呼ばれるワイン蔵がある。気温の変化が少ないので、ワインを造っていない家では食料保存庫として使われたり、最近では居室に改装されることもあるが、アデガは本来ワインを造り、保存する場所で、そこに自家製ワインの入った樽が置いてある。誰かが訪ねてくると、「じゃ、とりあえずアデガに行こうか」となる。