「監督以上」の存在としてのトム・クルーズ

トム・クルーズという不世出のハリウッド・スターの功績を振り返る時、欠かせない視点は、彼が現代の映画界における「アクター兼プロデューサー」のパイオニア的存在であることだ。

トム・クルーズ以前にもクリント・イーストウッドやロバート・レッドフォードを筆頭に、自身のプロダクションを立ち上げて映画製作に深く関与してきたハリウッド・スターは存在しているが、その多くは監督業に進出する上で「自分の撮りたい映画」を作るための足がかりとしてのプロダクション設立だった。

しかし、1993年に自身のエージェントであったポーラ・ワグナーとクルーズ/ワグナー・プロダクションズを設立して以来、クルーズはあくまでもアクターとプロデューサーという立場に徹して、『ミッション:インポッシブル』(1996年)から『ミッション:インポッシブル3』(2006年)までのほぼすべての主演作品のプロデューサーを兼任し、出演作以外の作品ではプロデューサーとして、『アザーズ』(2001年)のアレハンドロ・アメナーバル、『ニュースの天才』(2003年)のビリー・レイ、『エリザベスタウン』(2005年)のキャメロン・クロウ、『Ask the Dust』(2006年)のロバート・タウンといった交流の深い監督の作品をサポートしてきた。

クルーズ/ワグナー・プロダクションズの製作ではない作品としては、ロンドンでの撮影が1年以上の長期間に及んだことでギネスレコードにも認定されたスタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)や、その時点ですでにハリウッドのトップアクターだったにもかかわらず群像劇における助演のポジションで臨んだポール・トーマス・アンダーソンの『マグノリア』など、クルーズはスターとしての効率や看板よりも、映画人としての好奇心や探究心を優先して出演作を選んできた。

そんなキャリアの設計が可能となったのも、クルーズ/ワグナー・プロダクションズという収益の基盤があったからだ。クルーズ/ワグナー・プロダクションは2008年の『ワルキューレ』(2008年)の製作を最後に解散するが、その後もクルーズは多くの主演作でプロデューサーを兼任し続け、作品の手綱を握り続けている。

当初、2019年夏に公開が予定されていた『トップガン マーヴェリック』は、プロデューサーの一人であるクルーズが実機での撮影にこだわったことで撮影が長引いて2020年夏の公開に一旦延期。その後、パンデミックに入ったことでさらに公開が何度も延期されることになったわけだが、その間、ネットフリックスとアップルTVプラスはパラマウント・ピクチャーズに巨額の配信権を提示したという。

今となってみれば「『トップガン マーヴェリック』をストリーミングサービスで公開するなんて!」と誰もが思うだろうが、実際にパラマウント・ピクチャーズは同時期に製作した『シカゴ7裁判』(ネットフリックス)、『ラブ&モンスターズ』(ネットフリックス)、『星の王子ニューヨークへ行く2』(アマゾンプライムビデオ)、『ウィズアウト・リモース』(アマゾンプライムビデオ)、『トゥモロー・ウォー』(アマゾンプライムビデオ)を各ストリーミングサービスに売り渡した。

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もしクルーズがプロデューサーとしての権限でストリーミングサービスへの売却を断固として拒否していなければ、2022年の『トップガン マーヴェリック』現象はなかったかもしれない。

2020年にはすでに完成していた『トップガン マーヴェリック』は、世界的に平常の映画興行が戻ることが見込まれていた2022年5月まで公開が伸ばされ、結果的にアメリカでは国内歴代興収5位(公開当時)の7億1873万ドル(約970億円)、全世界では歴代興収11位(公開当時)の14億9349万ドル(約2000億円)という空前の大ヒットを記録した。

パンデミック後、最も映画館への足が遠のいていた、前作『トップガン』(1986年)にノスタルジーを抱いている50代以上の世代もようやく安心して映画館に足を運べるようになったタイミングで、カンヌ、ロサンゼルス、東京とストリーミングサービスで公開される作品では考えられない規模の派手なプロモーション活動をおこない、CGIに頼らないスクリーン映えするスペクタクル・アクションを売りにするエンターテインメント大作を送り出し、若い世代をも巻き込んでハリウッド発としては久々の社会現象を巻き起こす。

そのすべての企画、演出、主演を務めたのは、トム・クルーズその人だった。