損傷の激しい3人の遺体を発見…
八ノ沢カールにて荼毘に付す

事件を受け、カムエクをはじめとする日高山脈中部の入山は禁止とされ、十勝岳連盟や帯広警察、猟友会などからなる救助隊が編成された。捜索の結果、29日午後に、Cの遺体が最後に過ごした岩場下方の涸沢のガレ場で、さらに、その100メートル下方のガレ場でAの遺体が発見された。両者ともに顔面の損傷が激しく、頸動脈を切られ、身体中に無数の爪痕が残されていた。腹部をえぐられ、内臓が露出している箇所もあったという。

30日にはBの遺体も発見された。Aの現場から300メートル下方の涸沢だった。天候が悪かったため遺体を下ろすことが難しく、31日午後5時に3人は八ノ沢カールにて荼毘に付された。

3人の命を奪ったクマは、29日午後4時30分頃、八ノ沢カール下方から現れたところをハンターによって射殺されている。2歳6カ月くらいの若い雌で、警戒する様子もなく出てきたという。その後はく製にされたのち、現在は中札内村にある日高山脈山岳センターに保管されている。

〈クマ事件簿〉腹部をえぐった爪痕が…逃げても逃げてもヒグマは追いかけてくる「福岡大ワンダーフォーゲル」3日で6回襲撃の惨劇_4
1970(昭和45)年7月28日(16版)の『北海道新聞』。『日本クマ事件簿』より
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〝所有物〞を取り返すべくクマが見せた異様な執念

なぜ、加害グマは数回にわたり襲ってきたのか。最初のきっかけは、ザックの中に入っていた食料ではないかと考えられている。三度目の襲撃の際に、テントから離れた人間を追うことなくザックを漁っていたことがその理由だ。

そうしてクマは、一度「自分の物」と認識したザックを人間に取り返された=奪われたと感じ、その相手を徹底的に排除するべく執拗に攻撃したのではないか。クマと人間の間で、ザックの行き来が何度かあるうちに、次第にクマの行動も大胆になってきているのがわかる。とりわけ雌は、雄に比べてしつこい傾向にある。

ところでクマは、夏の時季は主にハイマツの実を食べて過ごす。現場付近にはハイマツ帯があったにも関わらず、初めからザックの中の食料を狙っていたことから、もしかすると事件よりも前に人間の食料を口にした経験があったのかもしれない。

北海道の山岳史上で最も悲惨ともいわれるこの事件から50余年。最近では、2019(令和元)年7月に、単独登山をしていた2人が相次いでクマに襲われ、北海道は現在もカムエクの登山自粛を強くお願いしている。

八ノ沢カールには、「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が刻まれたプレートが、今も岩場に残されている。

#1「〈日本クマ事件簿〉頭部と四肢下部を食い残すのはヒグマの習性。三毛別で起こった胎児1人を含む7人を殺害した惨劇」はこちらから

#2「〈日本クマ事件簿〉巨大老ヒグマが祭り帰りの団らんを襲撃、4人死亡の恐怖の一夜」はこちらから

『日本クマ事件簿』
三才ブックス
〈クマ事件簿〉腹部をえぐった爪痕が…逃げても逃げてもヒグマは追いかけてくる「福岡大ワンダーフォーゲル」3日で6回襲撃の惨劇_5
2022/5/20
1,760円
208ページ
ISBN:978-4866733159
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