老人の顔をありのままに描く
ニコル ところでヤマザキさん、油絵を始めたと聞きましたが、漫画家をやめちゃうんですか。それが心配で、ご本人に確かめたかったんですけど。
ヤマザキ やめませんよ。油絵だけでは食べていけないので、漫画家はまだ続けます。もともと油絵は、六十歳になったらまた始めようと考えていたんですが、山下達郎さんというミュージシャンのアルバムのジャケット(『SOFTLY』)のために彼の肖像画を描くことになったんです。「あんたもうお金に困ってないんだから、油絵復帰したら」と勧められて。それで数年早く取りかかることにしたんですよ。でも彼からは「漫画もまだ描きなさいよ」と言われてますんで続けます(笑)。
ニコル 漫画家をやめないと聞くことができて、よかった(笑)。でも一度中断した油絵を始めた感触はどうですか。
ヤマザキ 今日のテーマが「老いについて」だから言うわけではないけど、私、肖像画を描くときに、若い人の顔を被写体には選ばないんですよ。年を取った人の顔のほうが俄然いい。
ニコル へえ、面白い。どうして?
ヤマザキ 達郎さんにしても、その後に肖像画を描いた立川志の輔さんにしても、やはり七十歳あたりになってくると自我意識の甲冑が取れたいい塩梅の表情になっているんです。私にとって皺は人間の最も魅力的な現象です。皺が無い顔は表現欲を衰退させる。アカデミアのヌードデッサン科に通っていたときもそうでした。月曜日、若い女、火曜日、若い男、水曜日、おじいさん、木曜日、おばあさんという課題があるんですが、最初の月、火の若い人はすぐに描き終わっちゃうからつまらない。老人の皺だらけの肉体を描くのは難しいんですが、表現のしがいがあるというのか。複雑な被写体をいかに柔らかくスマートに描くか、その模索が楽しいのです。
ニコル なるほど。皺の向こうにある年輪を感じ取る。
ヤマザキ そうですね。だからきれいな女の人の顔は、あまり描きたくないかな。女の人って、ありのままの顔を描くと、たいてい文句をつけてくる。目をもっと大きくしてくれとか、皺を減らせとか(笑)。
ニコル それで注文通り直すんですか。
ヤマザキ 直しません。以前、フィレンツェの街頭で似顔絵描きをやっていたとき、中年のアメリカ人女性の顔を描いたことがあるんですね。とてもふくよかな方だったので、若干ほっそりした顔に描いたら怒られてしまった。「ありのままを描いてよ。私は太っている自分が好きなの」と。もちろんそれは描き直しましたけど、私は逆にその人に怒られてよかったと思いました。それ以来、私が見えているものをそのまま描かせていただきます、と。だから仕事の依頼はなかなか来ませんでしたけど(笑)。
ニコル それはかっこいい決断。
ヤマザキ 今ってどんな人でも若づくりで気軽に整形とかやるでしょう。
ニコル 整形しているんですか、日本でも。
ヤマザキ 韓国や中国、日本は整形が盛んですね。普通に歯医者さんへ行くみたいに、目をいじったり、皺を取ったりしてます。
ニコル うーん、何かみんな同じ顔になりそうで、悲しい。
ヤマザキ じつはこの間、カメラマンをやっているうちの息子に私の本のカバーの写真を撮ってもらったんですが、彼がよく撮れた、というのが私にしてみればおかしな顔つきのやつばかりなんですよ。眉間に皺が寄っていたり、しかめっ面になっていたり。それで、「もっと使える写真を撮ってよ」と言ったら、「使える写真ってどういうこと?」と聞くから、つい「世間一般的にウケるような……」と言ってしまった。すると「何言ってるの。母からそんな言葉を聞くとは思わなかった」と説教が始まった。「あのさ、母が言っているきれいな顔って、偏差値三十五の人が見てきれいっていう顔だよねと。つまりシンメトリーで、目が大きくて、まつ毛ぱちぱちで、口が小さくて、誰が見てもかわいいという、そういう記号みたいな顔がいいの。何が奥にあるのか、わくわくさせてくれる顔が本当に美しい顔なんじゃないの、おかしいよ母の言ってること」とぼこぼこにされた(笑)。わかりました。じゃあ、いいです、この顔でと眉間に皺が寄っているやつで引き下がりました。
ニコル いい話。彼は、確実にヤマザキさんの血を受け継いでいます。会いたいですね。
ヤマザキ 話が合うと思います。彼はこうも言ってました。僕は全然ハンサムじゃないけど、自分の顔はすごくいいと思う。さんざん苦労もしてきたし、いろんな目に遭って出来上がった顔だからそう思えるんだと。私よりずっと大人ですよ。それはまさに今日話したcuriosityに通じる話だなと思ったわけです。
どう老いるか考えるのは無意味
ヤマザキ 最近、日本ではやたらと老いについての本が出版されています。年配の賢者たちに良い年の重ね方を教えてもらう、という主旨のものとか、長生きの秘訣とか。どうやって人生を締めくくるべきか、なんていうのもある。はっきり言って、ああいう書籍を読んで良い年の取り方をしようなんて思うから、思い通りにならないと失望したり、苦悩が募る。比べるのはやめた方がいい。老いこそ予定調和通りにはいかないのですから。
ニコル そういうものを求める気持ちはわかりますが、すごくつまらないですよね。いいことも悪いことも、思いもよらないことの方が面白いのに。
ヤマザキ そうでしょう。老いというのは、毎日毎日一生懸命生きることで、自然にかたどられて行くものだと思います。刻まれた皺のように、様々な時間の中を生きてきたその人の人となりが形になっていくものを指しているんですよ。
ニコル それは本当に大事なことだと思う。
ヤマザキ 老い方のマニュアルがあるのは、今の世の中がさっき言った偏差値三十五でわかるものでできている証拠ですよ。老人の集団自決論も偏差値三十五の考えです。
年を取ったら要らない、ハンディキャップも要らない。それは人間というものの実態を見ないということですからね。そもそも人間というものに期待し過ぎなんですよ。人間だけがスペシャルな生物だと思い込み過ぎ。人間は知恵があるから何とかなっているものの、熊や虎なんかに比べたら大した生きものじゃない。
ニコル 人間至上主義は、いつかしっぺ返しを食らいます。今までだって何度もそういう目に遭ってきたのに、ホモサピエンスはちっとも学びませんね。
ヤマザキ 私がよく行くパドヴァのレストランに、いつもすごく声のでかい爺さんが来るんですよ。その爺さんは毎回、誰かしか通りすがりの人に付き添われて店に入ってくると、着席まで手伝ってもらってるんですが、付添い人が帰ると、普通に立ってトイレに行ったりする。老人であることを利用して人情を試しているのかもしれない。
ニコル いそうですね、そういう老人。
ヤマザキ そのレストランでは爺さんは声がでかいので結構嫌がられてて、だけどオーナーとは古くからの知り合いらしくて「うるせえー」とか言いながらも、彼の大好きなトマト風味のパスタをいつも作ってあげるんですよ。
その爺さんが入院したときは、オーナー自ら「くそったれ爺」とつぶやきながらも、自らトマトパスタを作って持って行ってあげてました。爺さん同士の友情、なかなかイカしてるなと。
ニコル かっこいい爺さん。
ヤマザキ 長く生きて来たからこそ得られるかっこよさというやつでしょう。老成して、お互い頑固でけんかもするけど、大変な人生をよく生き抜いて来たなというリスペクトがあるから、そういう関係が成り立つのでしょう。
ニコル いい。感動しましたよ。なんだか江戸の落語の話みたいで、面白いし、泣ける。
ヤマザキ まさに江戸落語ですよ。今の世の中でももっと当たり前にこんな江戸流の寛容性があれば、年寄り要らない論にそんなにいっぱい「いいね」がつくわけがない。うちの夫は老人が腹の底から笑っている顔ってすごく幸せな気持ちになれると言うんです。人生の苦悩を知らない子供の笑顔が幸せそうなのは当たり前であり、困難を経てきた老人の笑い顔の方がよほど生きていく勇気をもらえると。
ニコル それがあるから老人は絵になるんですね。
ヤマザキ 人生妥協ナシで生きてきた人は熊や虎にも匹敵するくらいかっこいい。
ニコル 日本に来るといつも行くんですが、先日、麻布山善福寺の福沢諭吉のお墓にお参りをして、樹齢八百年の銀杏の巨木にも会ってきました。私、この銀杏の木が好きなんです。戦争で幹の一部が焼け落ちてしまったんですが、その戦争も含めて、いろんなものを静かに見てきた樹です。そして大きな怪我をしても、今もこうして元気に生き延びている。老人の顔のパワーと同じですね。
ヤマザキ 樹だって動物だって、いろんな攻防がある中で、命が尽きるまで生きるわけじゃないですか。どんなに苦しくてもそれと全うに向き合って乗り越えてきた人たちには特別な味わい深さが出てきます。人間として訓練された頭も体も、人間の本来あるべき形というのは、老人にならないと出てこないんじゃないかと思う。
ニコル 同感です。私たちも良質の業というcuriosityを積み上げて、いつまでも燃費が悪いままで、あちこち寄り道しながら年を取りたいですね。
(2023・3・9 神保町にて)
*ニコル氏の日本語校正作業にあたり、定村来人氏と松葉涼子氏にご協力いただきました。
「すばる」2023年6月号転載