ギリギリだった地下アイドル時代
――ただ、まったく人気が出なかった。
はい。カタモミ女子は肩もみ店での接客でファンを付けつつ、ライブをするっていう店舗型アイドルだったんですけど、ライブをやってもメンバーの数とお客さんの数が同じ「合コン状態」だったりして。逆に、肩もみの方はすごく流行って、毎日12時の開店から22時まで出勤していました。
――それは労働基準法的にどうなんですかね(笑)。店ではどんなことをしてたんですか?
店の2階には畳が敷かれていて、仕切りで居酒屋の半個室みたいにできるんです。そこで1対1で接客するんですけど、肩もみなんてほとんどしないんですよ。お客さんは女の子と話したくて来てるから、手を握ってずっとお話するだけ、とか(笑)。
――中野さんはカタモミ女子のリーダーを務めていましたが、結局売れないままグループを卒業することになり、一緒に辞めたメンバーと一緒に新しいアイドルグループ「info.m@te」(インフォメイト)を結成しますね。
はい。インフォメイトは完全セルフプロデュースでした。本当にお金がなかったから、原宿で5000円で買ったワンピースをリメイクしたものを着て、チラシのデザインは私がやって、CDのパッケージや歌詞カードもプリンターでコピーしたものをハサミで切って作っていて。
――セルフプロデュースというよりは、DIYアイドルでは?
確かに(笑)。でも、私も抱え込みすぎるタイプなので、ワンマンライブの日の朝まで家でCDを作ってて、「もうできない……」って糸が切れちゃったんです。それで1年も経たないうちに解散してしまいました。