「工作を34年、もう極めたのでは?」の質問に…

久保田氏もそうした経験が今の自分に繋がっているという。
喋るのが好きだったことから落語家を目指した時期もあったが、大学時代には教員になることを志し、社会科の教員免許を取得。その後、声優の道へと進んだ久保田氏だったが、こと〝工作〟においては父親の影響が強かったという。

「父親はサラリーマンでしたが、大工の棟梁からスカウトがくるほどに手先が器用でした。ある時、凧を作ると言い出してそれこそ竹を買ってきて、ナタで削るところから作り始めるんですよ。そういう父親だったので自宅にノコギリは10本以上あって、ノミも20本以上ありました。そんな環境もあって私も小さな頃からモノづくりの楽しさみたいなものは体験していました。喋るのが好きで、工作も好きだから最終的に“わくわくさん”になっちゃいました」

わくわくさんが語る「令和の子・令和の親」へのメッセージ「YouTubeで動画を見るだけでなく、実際に手を動かして親子で工作してほしい。工作は命を産み出すんです」_4
封筒ロケットを作り飛ばすわくわくさん
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「工作を34年以上も続けたのならもう極めたのでは?」という記者の問いかけに久保田氏はしばし思案顔をするとこう答えた。

「新しい物がどんどん生まれていくということは、逆に言うとわれわれ工作をする人間にとっては完成形がなくなるってことなんです。
例えば、『つくってあそぼ』が始まった当初はペットボトルなんて素材はなかったわけです。そうするとペットボトルが生まれたおかげで新しい工作ができるようになる。先程の話ではありませんが、スマホが普及してからはそのスマホも工作の題材になります。今は幼稚園でも折り紙でスマホを作る時代。
逆に環境問題の観点からプラスチック製の先が曲がるストローがなくなる可能性があったりもします。番組でもよく使っていた曲がるストローです。あれがなくなったらどうしよう。私にとっては死活問題。とにかく時代に即した工作ってのを考えていかないといけないし、それを考えるのがこれからの私の仕事ですね」

ハードウェアは今後も新しくなり続けるが、より大切なのはそれを使う人間だ。
わくわくさんは今日も工作を作り続けるー。

撮影・取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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