伝説の最終回はノッポさんが
「ご挨拶をしたい」とマイクをつけて…
「あ~あ~喋っちゃった。今日はね、特別なんです。えーとね、長い間ね、みんなと友達でいましたけど『できるかな』は4月から『ともだちいっぱい』という新しい番組と変わります」
20年間の放送中一言もしゃべらなかったノッポさんが『できるかな』の最終回で突然声を発したのは1990年3月6日のこと。当時、このまさかの展開にギョッとした視聴者も多かっただろう。
パントマイム仕込みの動きと手先だけで工作を表現し、子供を魅了し続けたノッポさんが昨年の9月に心不全で亡くなっていたことが5月10日に発表された。
伝説と呼ばれた『できるかな』の最終回で共演した、わくわくさんこと久保田雅人氏(61)が当時を振り返る。
「ノッポさんは工作番組に新しい道をつくった開拓者で大先輩です。私は当時まだ20代後半の駆け出しで、最終回では本来喋らないはずのノッポさんが喋って、ガチガチに緊張した私がまったく喋れないという状況でした(笑)。
実はノッポさんって最終回以外でも喋って収録はしているのですが、マイクをつけていなかったんですよ。ですが、最終回は自分の声でみなさんにご挨拶をしたいとノッポさん自らマイクをつけたというんです」
これがノッポさんとわくわくさんの最初で最後のコラボとなったが、久保田氏にとってはじつに貴重な体験だったという。
「ノッポさんが『僕たちの後を継いでくれるわくわくさんとゴロリくんです』と紹介してくれました。『色画用紙を折って、1回まっすぐ切るだけできちんとお星さまが作れてしまう』という工作を一緒にやらせていただきましたが、もうすべてのパフォーマンスが素晴らしくて、動きと手先だけですべてを表現していて。私にはそんなこと到底できません」
NHKが『できるかな』に変わる新しい工作番組を作りたいと出演者を探していたのは1989年のごろのこと。当時『おーい!はに丸』のはに丸の声を演じていた田中真弓氏の推薦で久保田氏はオーディションに参加した。
「当時私は『タッチ』で上杉達也などを演じた声優の三ツ失雄二さんが座長で、田中さんが副座長を務めていた劇団で声優をやっていました。その関係で田中さんが『ウチの劇団に手先が器用で喋らすとちょっと面白いのがいるからオーディションだけでも受けさせてくださいな』って言ってくださったんです。
で、受かるわけないなって思って受けたら、受かってしまったんです。それで試作としてやった番組のタイトルが驚くなかれ『わくわくおじさん』です。当時、私まだ27歳くらいですよ。なぜおじさんになったのかは今でもわからないんですけどね(笑)。とはいえレギュラーにはなるわけないないだろうって思ってたらレギュラー化が決定したんです」