「不便なほうが楽しいから」
充さんが久美子さんと出会ったのは約40年前のロンドン。当時20代前半の充さんは、英語学校に通いながら生活費を稼ぐために日本料理屋でアルバイトをしていた。そこで同じくアルバイトをしていたのが久美子さんだった。
その後、充さんはイギリスからパリへと旅を進めるのだが、パリでまた久美子さんと再会を果たす。
「『お金が残り1万円になるまでは旅して大丈夫』と思っててね。残り1万円になって、パリに入ったすぐその日に日本料理屋で仕事を見つけたんやけど、イギリスは週給やったけどフランスは月給やった(笑)。
1万円じゃ1カ月ももたんから、安ホテルに泊まって、毎朝荷造りしてチェックアウトして、今日よりもいくらかでも安いホテルを見つけて荷物置いてから出勤する、という生活をしてた。そのうち、エアメールでやり取りしていた彼女が遊びに来てくれて。それで助かったんよね」(充さん)
当時、主要都市の郵便局留めを利用しながら手紙のやり取りをしていたふたり。お互いが行く都市に目星をつけて、その都市の中央郵便局に局留めで手紙を出すのだ。
「書いた手紙がその郵便局に着くまでにざっと1週間でしょ。当時は2カ月くらい郵便局で預かっていてくれていたから、それまでに(充さんが)果たしてその場所に着けるんだろうか、ちゃんと受け取ってくれるかな、っていうわくわく感がいっぱいあったの。
それで返事が返ってきたときは無事受け取ってくれたんだと思うし。ものすごい楽しかったよね。今の人はすぐ携帯でピッって送っちゃって、確かに確実で早いけど、その何カ月っていう楽しみを奪われている気がして気の毒だなと思うことがある」(久美子さん)
「便利ではないほうが楽しいから」と、口をそろえるふたり。不便だからこそ、お互いに助け合うことで人と人との心の距離が近くなるのだという。
現在も、電話をしたいときは泊まりに来た客のスマホを借してもらったり、地元の人に伝言役になってもらったりしている。
「偶然、電話線がなかったからそのまま31年やってるだけなんだけど、その暮らしが私は楽しい。できないことがいっぱいあるから誰かにお願いして、それで信頼関係ができて距離も縮まるよね。
私はこの状態がすごく心地いいし、この暮らしの一番の魅力かな。スマホもパソコンも便利で自分ひとりで全部完結するけど、人はそれだけではやっぱり寂しいよね」(久美子さん)
毎朝10時に、郵便配達員が郵便物を玄関まで届けに来てくれる。ポストは7キロ先にあるため、久美子さんが書いた宿の予約の返信の手紙も玄関先で手渡しする。
そして今日も新しい予約の手紙が届いた。冒頭の『1億3000万人のSHOWチャンネル』を見たという東京在住の女性で、アメリカ人の夫と子どもふたりも一緒に宿泊するという。「かわいいだろうね」と手紙を読み上げながら頬をほころばせる充さん。
「コロナ禍で、欧米の若い子の間で手紙が流行ったっていう雑誌の記事を読んだの。メールは早く届くけど心までは通じきれなくて結局、手紙を選んだんだって。30年前からそれを考えた私たちはスーパー最先端なのかも(笑)」(久美子さん)
後編では、食事や部屋などをはじめ、苫屋のおもてなしをリポートする。
取材・文・撮影/堤 美佳子
編集/一ノ瀬 伸
苫屋 とまや
住所/岩手県九戸郡野田村大字野田第5地割22
営業時間/カフェ・ランチは午前10:00~午後5:00頃(予約不要)
宿泊料金/1泊2食付き・4〜10月:8800円、11〜12月、3月:9400円(消費税・サービス料込み、浴衣利用は600円、バスタオル利用は300円)
冬季休業/12月28日~2月末
問い合わせ・予約/手紙またははがきのやり取り(往復はがきか、返信用切手同封だとありがたいとのこと)
参考/野田村観光協会HP https://www.noda-kanko.com/kankou/stay/tomaya.html