日本一過酷な山岳レース、最年長選手の最後の挑戦
大会初日。最年長62歳のナンバー・30竹内雅昭。一の越山荘には、29番目にやってきた。馬場島から登った先に位置する早月小屋手前では、笹の朝露で気持ちよく顔を拭いて体のほてりを取ろうとする竹内を見て、初出場の選手がその経験値の高さに感心していた。
だが、スタート直後の好調さから一転、剱岳を越えて調子を崩し出していた。雲の隙間から照りつける陽光は、竹内にとってはレーザービームのように忌々しいものに感じられた。さらに胃は水すら受けつけず、脚は熱疲労で思うように動かない状態に陥っていた。
「最悪だな。まあ、いつもだね。何も食べれない。胃薬だけは持ってきたけど、いやあ……」
「今日はどこまで行こうと?」
「地の果てまで……かな。60になって完走したかったんだけど、4年間のブランクは大きいよね」
福井県敦賀市に暮らす竹内。長年、技術者として原子力発電所の仕事に携わってきたが、2年前、60歳を節目に退職。今は年ごとの更新で再雇用職員として関連施設である技術実証試験・交流棟で、廃止措置試験施設の安全管理に携わる。日々、原子力機構と記された白色のヘルメットを被り、機器のメンテナンスに余念がない。
「悪あがきはいい加減にせいと言われ続けてきました。そんなもの、しゃらくせえって!」
キレよく、啖呵を切る竹内。若い頃、虚弱体質だった自分を変えようと山小屋でアルバイトを始め、山にのめりこんだ。2012年に50歳を超えての挑戦開始。2014年選考会落選。
2016年大会では本大会出場を果たすも、南アルプスから下りてきた井川関門で失格。現場に駆けつけた妻の前で「ごめんよ」と落涙した。そして2018年、念願の完走を果たす。58歳での完走は最高齢記録。今度はゴールで大泣きした。今回のテーマはなんだろうか。
「目標は特になかったけど、次は60歳を超えて完走したい、と奮起しました」