世界を旅した夫婦が行き着いた山奥の村

夫婦がこの地で民宿を始めたのは、30代前半のこと。それまでふたりは世界中を巡る旅人だった。ユーラシア大陸を横断して帰国したのち、トラックで日本中を旅した。

南から北へ日本を縦断する道中で、久美子さんは看護師のアルバイトをしてお金を稼ぐため地元の栃木で一時離脱。充さんはひとりでトラックを走らせ、約2カ月後にたどり着いたのが岩手県野田村だった。そこで知り合った地元の人から、民宿の経営を持ちかけられたのだ。

「それで彼女に手紙書いたの。『田野畑、普代、野田って村が3つも続いててかっこいい』って。人が少ないというのはわりと重要やったね。(世界の旅で)人が少ない地域に行ったら、僕らのような見ず知らずの変な外国人が来てもどこの国でも親切にしてくれた。

それでおかみさんは4カ月後に合流。最初は定住するのは2年くらいのつもりやったけど、いつの間にか30年以上経ってたね」(充さん)

手紙でしか予約できない岩手・山奥の宿「苫屋」の夫婦が愛する“不便な暮らし” 「今の人はスマホに楽しみを奪われている気がして気の毒だなと」_4
囲炉裏の火にあたりながら若かりし日々を振り返る充さん

旅人として世界各地を転々としてきたふたりが、苫屋という拠点を持つ新たな生活を始めた。

「自分が旅人のときは、移動した先での出会いだけど、ここはいるだけでいろんなところからすごくいっぱいの人が来てくださるんだよね。

例えば、常連さんが結婚して妊娠して、生まれた生後3カ月の子どもを連れてきてくれたこともある。同じ人に何回も会ってその人の成長を見せてもらうのと一緒に、自分も育っているなって改めて気づかされるの」(久美子さん)

手紙でしか予約できない岩手・山奥の宿「苫屋」の夫婦が愛する“不便な暮らし” 「今の人はスマホに楽しみを奪われている気がして気の毒だなと」_5
かつて世界中を旅していたふたり