社会学者が語る「道路族マップ」の危険性

「道路族」という言葉や、それを見つけてマッピングして排除を呼びかけることにはどれほど本質的な価値や社会生活での必要性があるのか?
社会学者でネット右翼やSNSの炎上問題などに詳しい伊藤昌亮・成蹊大学文学部現代社会学科教授は「道路族マップ」をこう分析する。

「まず『DQN』という言葉が多用されているのが気になります。
『2ちゃんねる』で2003年に『JOY祭り』という炎上現象の走りのような大きな動きがありました。居酒屋で走り回る子どもを注意した店員に、親がキレて暴力を振るったということを、ハンドルネーム『JOY』という人物が自分のネット日記に投稿したことからブログが炎上。その後2ちゃんねるに飛び火し、その家族の個人情報を晒すなど一連の行動が『DQN狩り』と言われたことがあります。

DQNとは要するにヤンキーのことで、オタクがヤンキーの粗暴な行為に対して情報を寄せ集めて告発するという、集合知による特定と告発の行為が2ちゃんねる的な集合行動の原型にあって、これが現代までずっと続いている。
ヤンキー側の逸脱行為に対して、技術力を使ってオタクが正義の鉄拳を振るうということですね。
『道路族マップ』にしても、サイト作りとネット情報収集の技術で、ヤンキー側に見立てられる子どもに異議申し立てをしていくという構図です」

〈子どもの声は“騒音”なのか?〉話題の道路族告発サイト「道路族マップ」管理人に直撃! 行政や政府の道路族への対応は? 社会学者は「子どもへのバッシングが暴走する危険性」_3
「道路族マップ」のサイト画面。首都圏を中心に多くの「道路族」に関する投稿がされている

伊藤教授は「道路族マップ」もこうした系譜にある行動と分類し、さらにこう警鐘を鳴らす。

「マップにすると一望できるので可視化された『証拠』になり、それが社会的な合意を得て子どもへのバッシングになり、権力として暴走を始める危険性もある。
実際に迷惑行為を受けたと感じた人じゃなくても、バッシングに加勢したくなる。バイトテロ騒動もそのバイト先に関係ない人たちがめちゃくちゃ怒りましたよね。
『道路族』に対しても、迷惑と感じた人がいるのは事実でも、このサイトを通じて全然関係ない人達の声まで集まると、実際の被害者が数人しか居なくても、数百人数千人の声がそこに対して投下されていく。問題提起が当事者に伝わって自制を促すくらいならいいけれど、糾弾や攻撃から制裁が働き出すと当事者は身動きが取れなくなる。

生駒市のように「道路族」にならないよう注意を呼び掛けるといった対応もわからなくはないけれども、クレームが来るのが嫌だから先まわりして強い制裁をすることにつながりかねない。問題提起として意味があるとは思うけど、現象と制裁とのバランスを考えた時に、当事者性を越えた大きな声が乗っかってしまう恐れがありますね」