どうしようもないアホやけど、大学入学

高校卒業まで結局練習には身が入らなかった。試合のパフォーマンスもムラがあった。高3で出場したインターハイ本戦ではいらいらが募り、理性を手放した。何度も投げ飛ばして、最終的には投げたあとにパンチで殴りかかり、失格負けとなった。

「『こんなことは前代未聞や』ってめちゃくちゃ高見先生や連盟の方々に怒られました。ほんまにどうしようもない奴でした」

とっくに緊張の糸が切れていた。高校卒業後のことは何も考えてなかった。ところが中嶋の素質を知っていた芦屋大学の先生から、ボクシング部の創設にあたって勧誘を受けた。

「当初は行く気なかったですよ。僕がどうしようもないアホということは、高校の高見先生から聞いていたはずなんですよ。でも、なぜか芦屋大学の樋山(茂)先生は強く勧誘してきたんです。『勉強も全然せんでええ、学年も上げたる、学費もスポーツ推薦の特待生やからいらん』って。でも入ってみたら学費以外は全部ウソで(笑)。樋山先生は最高の恩師ですけど、当時は本気で勉強せんとあかんくて苦労しました」

入学した芦屋大学のボクシング部では、1年生ながら初代主将となった。部員は男2人、女3人。試合は上級生の経験者にお願いして出てもらうなどして、いきなり関西学生リーグ3部優勝。次年度も3部優勝し、さらにその次年度は飛び級で1部優勝した。創設3年目のことだった。

「ぱっと世界王者になって金稼いで帰ってくるわ」。ボクシング界のスター・井上尚弥の影に隠れたもう一人の天才。練習は月3回、投げ飛ばし、2日酔いで計量失格…それでも国体王者になった中嶋一輝の現在_4
筋トレも含めて2時間以上みっちり練習する
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「ただ、自分は相変わらず練習せず、試合ではナジーム・ハメド(90年代人気のあった英国人ボクサー)の真似をしてガード下げて、思いっきり腕を振ってました。体重落とすのがしんどくて、相手に対して怒りをぶつけてましたね。そのときはほんまに大怪我させたろと思ってました。それに喧嘩と比べたらグローブつけて戦うボクシングなんて怖くなかったですよ。

そんな喧嘩みたいな態度で試合に出てるから、試合後は連盟の会長(当時)だった山根(明)会長に毎回怒られてました」