未成年殺害、特殊詐欺…両者の事件に共通すること

大勢の生きづらさを抱えた子供たちに会って感じるのが、彼らの「言葉の脆弱さ」です。

非行少年を例にとれば、わかりやすいでしょう。たとえば、2015年に川崎市の多摩川河川敷で起きた、17歳~18歳の少年3人による、中1男子生徒殺害事件。

加害少年たちは、そもそも殺意を持っていませんでした。にもかかわらず、ちょっとした勘違いから怒りを「ぶっ殺す」と表現したことで、仲間内で「じゃあ、殺せよ」「ああ殺すよ」「お前も殺せよ」という粗雑な言葉のやり取りがはじまり、ついにはカッターで43回以上も少年を切りつけて本当に殺害に至ってしまいました。

あるいは、東北で逮捕された特殊詐欺の受け子役の少女。彼女はSNSで見知らぬ男性からDMをもらい、「割のいいバイト」という言葉を鵜呑みにして、特殊詐欺に加担しました。
彼女は、なぜ怪しいアルバイトだと思わなかったのかという質問に「わからない」と答え、高額報酬を疑わなかった理由についても「そう言われから、そうだと思った」と答えています。

両者に共通するのは、言語によって自分の内面や事実を掘り下げ、適切な判断をする力の脆弱さです。言葉によって事実と向き合い、思考をしていないので、問題がどんどんこじれていってしまうのです。

みなさんも「英語で物事を考え、表現しなさい」と言われれば、思考やコミュニケーションの幅が狭められるでしょう。言葉が未熟であるということは、それと同じことなのです。

少年院など児童福祉の現場では、こうした少年の適切な言葉を取り戻すため、様々な取り組みが行われています。拙著『ルポ 誰が国語力を殺すのか』で書いた取り組みを中心に、子供の生きづらさと言葉の問題と、その回復について述べたいと思います。