ジョージ・ルーカスを生んだ名門USCへ

そんななか、ある記事に出会う。ジョージ・ルーカス監督は南カリフォルニア大学(USC)、フランシス・フォード・コッポラ監督はカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)、マーティン・スコセッシ監督はニューヨーク大学と、アメリカの人気監督はみんな映画学校出身である、という内容だった(ちなみに、この記事が掲載されていたのは「ロードショー」の可能性はあるが、昔のことなので確証がない)。

当時のぼくにとって、この記事の内容は衝撃だった。映画監督になるためには、誰かに弟子入りして、長年にわたる理不尽な修行に耐えなくてはいけないという、職人のようなコースを勝手に想像していたからだ。上下関係や体育系のノリが苦手なぼくとっては、具体的かつシステマティックに教えてくれるやりかたのほうがしっくりくる。

日本にも映画を教える学校があることは知っていたけれど、邦画には興味がなかったし、教鞭を執っている先生の著書を図書館で借りてみても実践とはほど遠い内容だった。さらに、ここではないどこかに脱出したいという気持ちがものすごく大きかった。それが十代の若者に共通する心境なのか、ぼくが特殊だったのかはよく分からないのだけれど。

ただ、ぼくの夢は決して映画監督になることではなかった。便宜上、そう口走ったことはあるかもしれない。でも、本気で目指そうと思ったことはない。それは、アメリカ大統領になるとか、ノーベル賞を受賞するとかと同様、あまりに現実離れしたシナリオであり、その様子を妄想することすらできなかったほどだ。

だが、海外の映画学校で勉強するところまでは、なんとかイメージできた。世界中から集まった映画好きの学生たちと同じ教室で勉強をする。これが、当時のぼくが絞り出したせいいっぱいの夢だった。

それから数年間を留学準備に費やした。具体的には英語の勉強や留学資金を貯めるためのバイトに明け暮れたわけだが、きつかったのは酷使した体より、メンタルのほうだった。もともと自己肯定感が低かったので、いつも不安や劣等感ややり場のない怒りが渦巻いていた。なにもかも中途半端にやってきたぼくが自分を追い込んだのは初めての経験で、その努力が報われたのもまたはじめての経験だった。
ぼくは1995年1月にロサンゼルスへと飛び立った。

映画監督になろう! in LA ~ぼくの人生を変えたロードショー~_3
南カリフォルニア大学に入学、ルーカスの名を冠した建物の前で