当事者ではない。でもできることを見つけたい

——今回の書籍はAPDの専門医からの依頼を受けて執筆、引き受けるか非常に悩んだ、と聞いています。悩んだ末に執筆した理由を教えてください。

私はAPDを知らない状態で今回の依頼をもらいましたが、確実に当事者ではありませんでした。だから、彼らのことを心から理解するのは難しいと思ったし、そんな自分が執筆することで彼らの声を奪うことにつながるのではないかと悩んだんです。依頼をくれた医師には「約束はできません」と言いました。

でもAPDについて調べていくうちに「わかってもらえない苦しさ」には身に覚えがあると気づきました。私は耳の聞こえない両親の元に生まれ、親子間のコミュニケーション不全や周囲からの偏見に苦しんだ過去があります。「あなたは耳が聞こえるからいいでしょ」と言われる苦しさや、同じ境遇の人が周囲にいない孤独感……過去の自分と同じことが、APDの当事者に起こっていると感じました。

「自分はAPDの当事者ではないけれど、彼らが置かれている状況や気持ちには共感できる部分がある。だったら書いてもいいかもしれない」と思って、当事者や関係者の取材や、原稿の執筆を進めていきました。

——取材を通じて複数の当事者と会ったそうですが、彼らに共通して感じたことを教えてください。

当事者の方々は、年齢や性別はもちろん、自身が置かれている状況や聞こえなくなる条件もすべて異なります。それを踏まえ、多くの方が該当する共通点があるとすれば、「自分が悪い」と自分を責めている点でしょうか。

APDは聴力検査をしても「異常なし」という結果が出ますが、聞き取れないのは確かです。だからAPDという言葉を知らないことで、自分の症状が何なのか分からず、自分が悪いと思ってしまう方が多いのです。

また、諦めているように見えた方も多かった気がします。最初は自分の症状を周囲に理解してもらおうとするけれど、なかなか理解してもらえないから諦めてしまうそうです。それから聞き取れないことが原因で、人間関係がうまくいかない方、仕事の選択肢が狭まってしまう方も複数見受けられました。

私はそんな話を聞きながら「諦めなくていいのにな」と思ってしまったし、社会に対して憤りを覚えました。でも当事者の中には、もう怒る気力も残っていないように見える方も多かったように思います。