栗城さんに「これだけはかなわない」と舌を巻いた経験

登山関係者の大半が栗城さんを批判的に見るのに対して、彼の「すごさ」を具体的に語る人物もいた。札幌在住のプロスキーヤー、児玉毅さんだ。栗城さんとは2007年、共通の友人を交えた飲み会の席で知り合った。

毅さんは、シベリアの誰も滑ったことのない山やマッキンリー山頂からの滑降など、辺境地や高所でのスキーを得意とする。「スキーを背負って世界を旅する」がライフワークだ。中東のレバノンやシリア、地中海沿岸のトルコやギリシャなど「なぜここにスキー場が?」と驚いてしまうような国々でも滑る。北アフリカのモロッコでは雪ではなく、砂丘を滑走した。
毅さんは、実はエベレストの登頂者でもある。

2005年の春だった。遠征するきっかけはその前年、札幌の手稲山のゲレンデで、ケガをして動けなくなっていた年配のスキーヤーを救助したことだった。

本多通宏さんというその男性は東京で会社を経営する素封家で、2003年、三浦雄一郎さんが当時の最高齢記録となる70歳7カ月でエベレスト登頂を果たしたことに刺激を受け、「自分も挑戦したい」と意気込んでいた。本多さんは毅さんを「命の恩人だ」と惚れ込み、エベレストでのサポートを依頼したのだ。

毅さんたちが登ったのは、ネパール側から南東稜を行くノーマルルート(ヒラリー氏とテンジン氏が初登頂した、谷あいを詰めて急斜面に出る一般的なルート)だった。だが、標高8000メートルを越えたところで、本多さんが体調不良に加え、軽度の凍傷を負ってしまった。やむなく隊はBC(ベースキャンプ)に下り、本多さんはヘリで下山した。

「どうしよう? もう一回、登ろうか?」という登攀隊長の言葉に、「隊としては登頂成功させたいですよね、本多さんのためにも」と毅さんが応じた。シェルパを伴って再びBCを出発し、4日後、標高8848メートルの山頂を踏んだ。一度BCまで下りてからの再チャレンジだ。毅さんは8000メートルの標高を2回越えたことになる。

「たぶん高所への順応力は、栗城君よりボクの方があると思います」

笑ってそう話す毅さんだが、栗城さんに「これだけはかなわない」と舌を巻いた経験がある。