「グリコ」は会社名ではなく…
――「じゃんけんグリコ」の発祥時期や発案者を把握している?
「明確な時期は弊社でも把握していません。ただ過去の文献を探りますと、1933年2月16日発行の大阪朝日新聞に弊社が豆文広告(イラストと小文のみのミニ広告。子どもがこれを楽しみに新聞を読むこともあったという)を出しており、そこで「東京で流行るじゃんけんの呼び方 グリコ チヨコレイト パイナツプル」と掲載されています」(江崎グリコグループ広報部・石河壮太朗さん、以下同)
――1933年の時点で、すでに東京でその呼び方が存在していたと。
「はい。そしてこの広告を載せたことで、全国的にも広まったのではないかなと我々は考えています」
――当時のグリコ社員が宣伝のために流行らせた可能性は……?
「一番最初に『グー』を『グリコ』としたのは誰かといったところまではわかりません。ただ、自然発生的に子どもたちがそう呼んで遊んでいたものを、遅れて弊社が把握し、それを広告として掲載し、世の中に広まったというのがひとつの見解ですね」
――なぜ子どもたちの間で「グー」から「グリコ」がチョイスされたと思いますか?
「こちらも明確な根拠はありませんが、当時からグリコのキャラメルが販売されて子どもたちから親しまれていたので、呼びやすく想像しやすく、かつグーに当てはまるものとして選ばれたのではないでしょうか。子どもたちは、おそらく企業名というよりはキャラメルの商品名だった『グリコ』を挙げていただいたんだと思います」
「じゃんけんグリコ」発祥当時をリアルタイムで経験している世代はなかなか見つからないとは思うが、なるべく当時に近い声を拾うため、“おばあちゃんの銀座”こと東京の巣鴨で、ご年配の方々に「グリコ」の思い出話を聞いてみた。