台湾を物語の一部として描く=台湾は中国の一部であるという立場

ゼロ・コロナ施策への反発もかつての中国ではあり得なかったー映画から見えてくる中国の改革開放30年。『シャドウプレイ【完全版】』ついに日本公開_3
『シャドウプレイ【完全版】』
©DREAM FACTORY, Travis Wei 
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さて、この10年ほど、これまで挙げたような作品に接するたびに「中国映画もここまで来たか!」と感じてきたのだが、1月20日公開の『シャドウプレイ【完全版】』(2018)を見て、またまたその想いを強くした。

監督したロウ・イエ(婁燁)は、中国映画界では第六世代に入るベテランで、本作が第10作目。中国初のインディーズ映画製作会社ドリーム・ファクトリーを設立した人物でもある。

これまでにも中国ではいまだタブー視される同性愛をテーマとした『スプリング・フィーバー』(2009)など、掟破りな作品を手掛けてきたが、天安門事件を扱った『天安門、恋人たち』(2006)がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映された際には、中国当局から5年間の映画製作・上映禁止処分を受けている。文化大革命ならば許容されても、天安門事件はさすがにまだ早すぎたということだろうか。

『シャドウプレイ』は、広州の都市再開発でビジネス街の中に取り残された洗村という一角で、2010年に実際に起きた暴動がベースになっている。1980年代の改革開放、90年代の社会主義市場経済の導入、そして2000年に入って訪れたバブルによって、人々がリッチになる欲望に突き動かされるという、まさに今日的な主題の作品。

不動産王ジャン(秦昊/チン・ハオ)らが犯罪に手を染めていく様子、そして結果として起きた二つの殺人事件を解明しようとする若手刑事ヤン(井柏然/ジン・ボーラン)の捜査の成り行きを描いており、理屈抜きでおもしろい!

現代中国社会の負の側面を真正面から描く本作は、以前の中国では絶対に許可されなかったはずだ。ところが本作では、犯罪に手を染める不動産王ジャンが、初めて成功を掴んだ場所を台湾とし、台湾での経済的成功を中国大陸の発展の呼び水として描いている。

さらに、罠にはめられた刑事ヤンがほとぼりを覚ますべく潜伏し、ジャンの娘ヌオ(馬思純/マー・スーチュン)と接触を持つ場所が、香港となっている。このことで“ひとつの中国”の原則を支持する設定となっていることが重要だ。

中国国内で上映を許されている意味

もちろん、制度としての検閲は存在する。同時上映される本作のメイキング『夢の裏側』(2019)に描かれているように、中国国内での公開までにはロウ・イエ監督と当局(北京市新聞出版広電局映画部)との間で、撮影・ポストプロダクション終了後に1年7か月にも及ぶ攻防が繰り広げられている。

性描写・暴力描写に加えて思想にも及ぶのが中国の検閲の特徴だが、検閲を行なう現場担当官は、電影法に基づかない検閲意見を押し付けようとし、監督側はそれと戦うために映画製作以上の労力を費やさざるを得ない。

それでも、である。作品そのものが中国国内公開禁止とならなかった点が重要に思える。日本公開の129分版に対して、中国国内で公開されたバージョンは5分短くせざるを得なかったという(特に、民衆の暴動とそれに対する弾圧シーンは丸ごとカットすることを要求された)。

とはいえ、中国映画界でこういうテーマの作品が製作され得たということ、そして本作が最初に上映された台湾で、第55回台湾金馬奨監督賞ほか4部門を受賞、その勲章を引っ提げて中国国内でも上映されたという事実は、一昔前では考えられないことのように思えるのだ。

その当時の台湾では、大陸寄りの姿勢が明確だった馬英九総統からアメリカ寄りの蔡英文総統に代替わりしていた。ところが、自信満々に大国への道をひた走る中国に対して、蔡英文総統は2022年11月の統一地方選挙での敗北を受けて、党主席の座を辞任。中台関係が今後どのような方向へ向かうのかは予断を許さない。

だからこそ、映画というメディアの中ではひと足先に“ひとつの中国”が疑似的に達成されたかのように、その原則がことさらに強調されているのではないだろうか。