東京が輝いていた頃を象徴する店で修業
1963年に創業されたイタリア料理店キャンティは日本で最初のサロン的なレストラン。数々の文化人たちの溜まり場で、まだ日本ではバジルが入手困難だった時代に大葉を使ったスパゲッティ・バジリコを出し、名物となった。1986年開業のラ・ブランシュはクラシックな王道フレンチのはしりで、同店の田代シェフは野菜使いの名手として知られている。両方とも東京が輝いていた時代の象徴的な店だ。私が都心に住んでいた頃、背伸びをしてキャンティを打ち合わせ場所に指定したり、ここ一番の会食にはやたらとラ・ブランシュに行ったりしてた。
なんだかなつかしくなっていたら、さらにソムリエの佐竹さんはモレスクにいたというではないか。90年代後半に開業したモレスクは取材いっさいお断り、知る人ぞ知る白金のワインバー。開業直後、私は白金の「M」としてこの店のことをブルータスの連載に書いたら、ものすごい反響でビビったことがある。
もちろん私が都心でいい気になっていた当時に若い二人が店にいたわけではないが、二人の経歴を聞いたら気持ちが一気に港区時代に戻ってしまった。
すっかり親近感を抱いた私は、「このすばらしいサラダに鎌倉バリエっていうネーミングはちょっとチャラくない? バリエーションをバリエって、カレシィって語尾上げてる雰囲気」などと要らぬおせっかいをいった。あまりにもすてきなその一皿のために私なりに意見を申し上げたつもり。それぐらい、「ザ・一皿」なのだ。
すっかり虜になった私は数日後にまたここを訪れた。今度はほどよくくたっとした蕪やパプリカと採りたてのようなレタスがさまざまなドレッシングと共に溶け合っていた。確かにバリエーションが個性のメニューなのだから、「バリエ」という名前が相応しいのだとわかった。余計なこといってごめんなさい。
シリウスの魅力は「鎌倉バリエ」だけではない。ランチはコースのみだけれど、夜はコースでもアラカルトでもいい。最近は気軽なイタリアンやビストロ、タパスっぽい店でもコースのみの店が多い。食材の無駄は無くなるかもしれないが、メニューを見ながらあれこれ想像し、わいわいと選ぶ楽しみがすっかり少なくなってしまった。私の周りのコース疲れした人々はアラカルトの店を欲している。
私が訪れた夜のアラカルト・メニューには「シャルキュトリー」や各種スープ、今の季節ならではの「白子のリゾット」や「牡蠣のムニエル」などに混じって、「鹿のたたき」があった。ジビエ好きとしては頼まないわけにはいかない。大きな皿いっぱいに生々しい赤身の肉が広げてあって、ふんだんなシャンピニオンで覆われていた。赤ワインが鹿を引き立て、鹿が赤ワインを引き立ててくれた。
私たちがこの夜、鹿に合わせたのは、ポルトガルのバガという品種。シリウスではフランスにこだわらず、南アフリカ、イタリア、スイス、ギリシャなどさまざまな国のワインが用意されている。ノンアルコールワインはノーマの元シェフが監修したNONのno,1(ラズベリー、カモミール)がある。ワインも食材も産地にはこだわらず、自分たちの味覚でいいと思ったものを選ぶという。
この夜は隣街の食通らしきグループと都内から来たというfoodieがいた。客層もローカルか観光客なんていう古い分け方には収まらないレストランのようだ。