リスクを負って攻めろ、走れ。
雨の中、試合が始まった。オシムジャパン、先制の一点目は天の配剤か、我那覇和樹だった。ゴール前で闘莉王の落としから、丁寧にゴールを決めた。
2007年の代表監督時代、オシムは我那覇が、ドーピング冤罪事件に巻き込まれたあともこの沖縄出身のストライカーを気にかけていた。
メディアや関係者が正しい事実を把握せずにドーピングだと騒ぎ立てていた同年5月3日、横浜FC対川崎Fの試合を視察したオシムは「選手に被害のない形で、きちんと解決した方がいい」(日刊スポーツ5月4日)と唯一、渦中の被害者を思いやる発言をしている。
さらには指導者を引退後も「最も記憶に残っているゴール」として、2006年9月6日、アウエイ・サナアのイエメン戦での我那覇のゴールをあげている。
何の罪も犯していないにも関わらず、冤罪で苦しめられた選手にエールを送り続けるかのような発信であった。我那覇は現在も九州リーグのジェーイリース大分で現役を続けている。
試合は4対1でオシムジャパンの勝利。
巻誠一郎はラストのスピーチでこんなことを言った。
「今日はジェフOBはオシムジャパンに歯が立たない完敗でした。オシムサッカーはしっかりと走れないと勝負にならない。今日の勝者はオシム監督だと思っています。
リスクを負って攻めろ、走れ。歩みを止めて諦めるのは簡単だ。オシムさんの魂は、責任を持ちながら、一歩を踏み出す勇気を持てということだと思っています。僕自身、そういう人でありたいと思っています」
巻は現在、NPO法人ユアアクションを立ち上げて地元熊本地震の被災者に寄り添い、復興支援を続けている。
ミックスゾーンで選手を待つと、我那覇が出て来た。
「僕が一点目を決めていいのかわからなかったですけどね(笑)オシムさんに教わったことを体現できてよかったです。16年ぶりの代表ユニフォームですけど、オシムさんに認められたいという思いでやっていたので」
続いて現れたのが、大分で市議会議員として活動している”ミスタートリニータ”高松大樹。
「明日から公務で12月から定例議会が始まります。スポーツを活かした街づくりに向けてがんばりますよ。僕なんかまだまだペーペーですけど、オシムさんがサッカーの力は無限だと教えてくれたので、スポーツによる活性を議会にも提言してまたがんばっていきたいです」