「テレビから消えた芸人」ウーマン村本を追いかけた映画『アイアム ア コメディアン』が突きつける日本人の”生きづらさ”の正体

村本大輔との出会いと、私の身体に起きた異変

「テレビから消えた芸人」村本大輔との出会い――左半身が麻痺した私に彼が与えてくれた希望_1
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芸人、村本大輔を見つけたのは2018年、上京して初めての夏だった。

私は舞台俳優になるために地元大阪から上京し、代官山のレストランでアルバイトとして働いていた。

その日はとても暑い日で、同伴したペットのために仕方なくテラス席に座ったお客様たちはみんな、暑い暑いとこぼしていた。店内外でモヒートがよく売れた。

初めてテレビで彼を観たのは、2013年の「THE MANZAI」優勝のときだった。それから数年が経ち、彼はぱたっとテレビ画面から姿を消した。

炎上、ゲス、左翼芸人……。ネット上では不穏な言葉が彼の名前に付いて回り、『政治的な発言で干された』と書かれていた。彼が全国放送の番組で発信したことの内容そのものより、そのロックな生き様に感銘を受けた。

ある日の朝。店内の窓際の席に座った彼は、テーブルの上に英語のテキストを広げていた。

“Hello. Sorry if I’m bothering you. I’m a huge fan of you. I’m so glad to see you, sir.”(こんにちは。邪魔をしてごめんなさい。私はあなたのファンです。お会いできてとても嬉しいです)

彼は最初、急に英語で声をかけられたことに少し驚いた様子だった。

「オー!センキュー!センキュー!」

村本さんとの交流はそんな風に始まって、来店される度にきさくに話しかけてくれるようになった。営業が落ち着いているときは、私が英語を教えたりもした。

翌年、六月のある日。

いつものように出勤すると、身体の左側に異変を感じた。急に左腕が冷たくなって痺れ始めた。

慌てて病院に行き、脳のMRIを撮影すると、右脳視床下部に海綿状血管腫が確認され、そのまま緊急入院することになった。

「発症箇所が脳幹部なだけに、外科的な措置は避けた方がいいでしょう」

某都立病院の脳外科医にそう言われて、私は絶望した。