角餅VS丸餅の分岐点はあの天下の分け目の「関ケ原」だった!
お雑煮談義で、よく話題に上がる角餅か?丸餅か?
今や大型スーパーに行けばどちらも手に入る時代ですが、実は明確な分岐点があります。
それはあの天下分け目の戦いの舞台となった関ケ原。
関ケ原より東が角餅、西が丸餅と分かれます。
私も自分の足でその周辺の地域を取材しましたが、関ケ原の近くに伊吹山という標高約1377mの山があるのですが、角餅の文化はここを越えなかったようです。
伊吹山周辺では、角餅が食べられていますが、山を越えた西の滋賀県に入ると、丸餅に切り替わっていて、ここが分岐点だと取材時に実感しました。
ただし、高知県や鹿児島県の一部は角餅を使っています。高知県は山内一豊が土佐藩主になり、角餅に切り替わり、鹿児島県は島津家の当主が江戸文化を持ち帰ったという説があります。
では、そもそもなぜ角餅と丸餅と分かれたのでしょう? お餅は昔、正月前に餅つきをして丸めたものを食べたので、西日本ではそのまま丸餅の文化ですが、東日本では角餅になったのは、人口増加による大量生産が理由の一つです。
江戸の人口が増えて、ついた餅をひとつずつ丸めるより、餅を伸ばして、のし餅にして固まってから切り分けたほうが大量に作ることでき、効率的だったからです。
ちなみに餅の調理方法でも角餅は焼く、丸餅は煮るに分かれます。お雑煮の角餅を焼くのは、固いので焼いたほうが早く柔らかくなるからです。
ただし、いくつかの地域で角餅でも煮て調理するところもあります。例えば、名古屋のお雑煮は角餅ですが、白い餅を城と見立てて、城は焼かぬようにという意味で角餅を焼かずに煮るという説があります。