鑑定には不正があった

実は、当時私たちがよく報道していた内容に、事件に使用されたヒ素(亜ヒ酸)が鑑定の結果、林さん宅にあったヒ素と同一だったというものがあります。

このカレー事件の前年、1997年に兵庫県で1000億円をかけて「スプリング8」という最新鋭の大型放射光施設が完成していました。電子を光速とほぼ同じ速度まで加速させることができるという巨大な施設ですが、この施設で事件のヒ素が分析されたのです。

その結果、事件に使われたヒ素と林さん宅にあったヒ素が一致。林眞須美さん本人が一貫して容疑を否認している中で、このことは決定的とも言える証拠になります(最高裁判決でも、最も重要な物的証拠として採用されています)。

この鑑定結果が出た以上、犯人は林眞須美さんに間違いないと、私たちもあの巨大なスプリング8の空撮映像を編集して報道していました。

ところがその後、このスプリング8の鑑定結果には不自然な部分が多くあることが言われるようになります。この事件がテレビではほとんど報道されなくなってから、多くの書籍で疑問点が指摘されていったのです。

私自身、それらの本を読むにつれて、「噓やろ、もう死刑が確定してしまっているのに…。俺の編集は全部間違いで、一人の人間を死刑に追いやったのか…」と、焦りばかりが募ってきました。

『鑑定不正 カレーヒ素事件』 (河合潤著/日本評論社)という本があります。2021年8月に出版されたものですが、この本を読むと愕然とします。

著者である京都大学大学院の河合潤教授が、スプリング8で鑑定を行った東京理科大学の中井泉教授が出した鑑定書には鑑定ミスや捏造が数多くあることを指摘。あのスプリング8での鑑定データも捏造されていたとはっきりと証明しているのです。

また中井鑑定人のみならず、その他の鑑定人や科学警察研究所の嘘や捏造までを暴いているのです。

「検察側鑑定のほとんどが不正なものだったのみならず、中立なはずの裁判官職権命令による鑑定も不正なものだったことを示してきた。《中略》警察庁科学警察研究所(科警研)の鑑定書は、林真須美の夫健治がシロアリ駆除業に使っていた亜ヒ酸A~Eと、カレーに亜ヒ酸を投入したときに殺人犯が使った紙コップに付着した亜ヒ酸Gの不純物5元素(Se,Sn,Sb,Pb,Bi)のヒ素Asに対する濃度比を100万倍して対数を計算して比較していた。

濃度比や100万倍や対数計算は、紙コップの亜ヒ酸が林家由来の亜ヒ酸とは組成が違うことを知りながら、同じであるかのように見せかけるためのトリックだった。対数などの数値操作を取り除くと、亜ヒ酸は別物だとわかった。科警研は亜ヒ酸が違う事さえ知っていた。」(『鑑定不正 カレーヒ素事件』冒頭「はじめに」から)

河合教授はそれら発見したミスや捏造を、新事実としてその都度裁判所に提出しています。しかし裁判官はその間違いを認めた上で「鑑定は合理的であるという点はいささかも揺らぐことではない」としてはねつけているのです。その鑑定の結果によって一人の人間が殺されようとしているのにです。全く信じられないことです。

〈和歌山カレー事件から24年〉林眞須美さんは本当に犯人なのか? ミス、不正、捏造だらけの鑑定結果にメディア人として思うこと_2
2021年8月に発売された『鑑定不正――カレーヒ素事件』(河合潤・日本評論社)。分析化学の第一人者がカレーヒ素事件の鑑定不正を解明した驚愕の1冊
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河合教授は判決文を見て「裁判官は統計を理解しないことがわかる。なにも大学の教養課程レベルの統計学を要求しているわけではない。高校レベルの統計さえ理解しないのだ。こんな文章を判決に書いているようでは専門家証言のほとんどを一審裁判官は理解できなかったはずだ」(『鑑定不正 カレーヒ素事件』P72) と、書籍の中で記しています。