国体も制覇。3年生・金原が流した涙

1、2年生の結束は、10月の広島国体でもコートで発揮された。国体は本来、各都道府県の優れた選手で結成される選抜チームだが、秋田は能代工の単独チームで挑むのが通例となっていた。
大会でのキープレーヤーは1年生シューターの菊地だった。とりわけ大阪選抜との決勝戦では3ポイントシュートを8本決めるなど、チーム最多の34得点と爆発した。
インターハイ優勝時に「3年連続3冠を獲ります!」と豪語し、加藤から「1年坊主が大口叩くな。“九官(9冠)鳥”か!」と皮肉られた国体の殊勲者も、3年生にこう感謝する。
「キャプテンの(田中)学さんとかがやりやすい環境を作ってくれたんで、『やるべきことをやろう』って集中できたのが大きかったです」
3年生が抱える苦悩をコートで打ち消し、2冠をもたらしてくれた後輩たちの熱意。
金原は優勝後の控室でひとり、涙を流した。
「本当に嬉しかったんですよ、国体でも優勝できて。そこからはもう、チームの気持ちをどう上げていくかしか考えていませんでした」
3年生「俺たちの1年が、必ず次にも繋がる」
12月のウインターカップでは、それまでにない強さがあった。2試合連続で100点ゲームと相手を圧倒。準々決勝の土浦日大戦と準決勝の仙台戦では、相手の3ポイントシュートを中心とした攻めに苦戦を強いられながらも、持ち味の速攻で終盤に相手を突き放した。そして、福島工との決勝戦は111-88の完勝だった。
5年ぶり7度目の3冠。
偉業を成し遂げた時、能代工では特別な儀式が行われる。コート上に3大大会の優勝カップを中心に円陣を組み、校歌に加え、『能工バスケットボール部の歌』と『三冠王の歌』を合唱するのだ。
「俺たちの1年間が、必ず次にも繋がる」
金原はそう念じていた。「力不足」と苦しみ続けた世代は最後、誇りを残した。
「勝利に直結するような貢献はできなかったかもしれないですけど、あの3冠は自分たちの代で勝ち取ったものだとは思っています。まあ、本当に力はなかったですけどね」
26年後の笑みには、少しの自嘲と達成感が入り混じっていた。
(つづく)
取材・文/田口元義


















