3年生が気づかせた「田臥の適正ポジション」

控え選手の存在が、常にチームをブラッシュアップさせてくれる。特に分岐点となったのが、96年6月の東北大会決勝の仙台戦だった。

残り5分。リードがわずか1点の場面で田臥が5ファウルを犯し、ルールにより退場してしまったのである。そしてチームも、86-94と痛恨の逆転負けを喫した。

「そんなに甘くないんだよ、高校のバスケットボールっていうのは」

試合直後のミーティングで監督から叱責を浴びた田臥が、当時の自戒を口にする。

「高校の厳しさをすごく教わったような気がしますし、あのタイミングで先生から言っていただいたのはすごくありがたかったです」

加藤も表では厳しく突き放したが、田臥を思い切りプレーさせたことで、自分の采配ミスに気づくこともできた。

それは、ポジションの食い違いだ。実際、シューティングガードの畑山は違和感を抱えながらプレーしていた。

「中学ではポイントガードでしたし、僕のスタイル的に『点を取る』って感じじゃなかったんです。そこで歯がゆさというか、中途半端な動きも多々あったというか。田臥もぎこちなさを感じていたかもしれません」

帰りのバス。加藤が開口一番、畑山と田臥に尋ねる。「お前たちはどっちでプレーしたい?」。すると、畑山は「トップ(ポイントガード)です」と言い、田臥は「ウイング(シューティングガード)です」と答えた。

合点がいった加藤が選手たちに頭を下げた。

「ごめん! 今日の負けは俺のミス」

1、2年生が試合で果敢に攻めたからこそ気づくことができた、ちょっとした綻び。

これが能代工の力をさらに引き出すことになるのだと、加藤の言葉が暗示していた。

「『田臥をポイントガードにしたい』って先入観がありましたけど、完全になくなりました。指導者としての引き出しを増やしてくれたのは、下級生が思い切りやれる環境を作ってくれた、田中たち上級生の存在なんです」

自信を裏付けるように、加藤はこう締めた。

「あそこでミスに気づいていなかったら、全国大会に出てもどこかで負けていたと思う」

(つづく)

取材・文/田口元義

♯4 田臥勇太ら「下級生中心チーム」で高校バスケ3冠も…能代工「力がなかった3年生」が今も“自分たちの代で勝った”と思う理由 はこちら

9冠無敗 能代工バスケットボール部 熱狂と憂鬱と
著者:田口 元義
26年前、能代工にいた「リアル桜木花道」。バスケは下手でもリバウンドと人柄が武器。田臥勇太が語る“2つ上の田中” とは?_10
2023年12月15日発売
1,980円(税込)
四六判/336ページ
ISBN:978-4-08-788098-4
のちに日本人初のNBAプレーヤーとなる絶対的エース・田臥勇太(現・宇都宮ブレックス)を擁し、前人未踏となる3年連続3冠=「9冠」を達成した1996~1998年の能代工業(現・能代科技)バスケットボール部。

東京体育館を超満員にし、社会的な現象となった「9冠」から25年。
田臥とともに9冠を支えた菊地勇樹、若月徹ら能代工メンバーはもちろん、当時の監督である加藤三彦、現能代科技監督の小松元、能代工OBの長谷川暢(現・秋田ノーザンハピネッツ)ら能代工関係者、また、当時監督や選手として能代工と対戦した、安里幸男、渡邉拓馬など総勢30名以上を徹底取材! 
最強チームの強さの秘密、常勝ゆえのプレッシャー、無冠に終わった世代の監督と選手の軋轢、時代の波に翻弄されるバスケ部、そして卒業後の選手たち……
秋田県北部にある「バスケの街」の高校生が巻き起こした奇跡の理由と、25年後の今に迫る感動のスポーツ・ノンフィクション。

【目次】
▼序章 9冠の狂騒(1998年)
▼第1章 伝説の始まりの3冠(1996年)
▼第2章 「必勝不敗」の6冠(1997年)
▼第3章 謙虚な挑戦者の9冠(1998年)
▼第4章 無冠の憂鬱(1999年)
▼第5章 能代工から能代科技へ(2000-2023年)
▼第6章 その後の9冠世代(2023年)
▼終章 25年後の「必勝不敗」(2023年)
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