同年代との紅白戦にしぶしぶ参戦→ドリブル無双
澤田代表は苦笑しながら、孫の生い立ちを語るかのようにこう振り返る。
「私も長くやってきましたけど、あんなことを言った子は彼だけですよ……」
あとになってわかったことだが、田中は幼稚園のときからサッカースクールに通っていたという。初心者も受け入れるさぎぬまSCのなかでは、すでに頭ひとつかふたつ抜けるような才能に恵まれていたのだ。
だからだろう。ボールの上に片足ずつ交互に乗せたり、ボールを大きく投げ上げてから落ちてくるまでの間に手をひとつ叩いたりする、いわゆる子供向けのメニューなど、当時の田中にとって朝飯前だったわけだ。
もっとも、どれだけ激しく泣いていたとしても、周囲の意見に聞く耳を持っている素直な性格は今も変わらぬ田中の才能だ。
「もう少し頑張って、みんなと一緒にやってみよう。あとで『試合』もあるからさ! そこまで頑張ってみないかい?」
「試合」というのはいわゆる紅白戦のようなものだが、それを聞いた田中は、同じ年代の子の輪の中にしぶしぶ戻っていった……。
もちろん、その日の最後に行われたゲーム形式の練習では、水を得た魚のようにドリブルをして、大活躍したのは言うまでもない。