富める者はますます富み
どうでもいい仕事は増え続ける
こういった考えを強化させつつ、「仕事から解放されよう」とか、「自由に使える時間を増やそう」とか、「人生のほとんどの時間を生きるために誰かに従属してすごさなくてすむ」とか、二度と考えないように支配層にある人たちは、その富の増大分をほとんどわがものにし、仕事をつくってそれに人を縛った上でばらまくのです。
こうすると「なにかおかしいな」と思っていても、でも仕事をするということはそれだけで大切だ。虚しかったり苦痛だったりするけれども、だからこそむしろ価値がある。というふうに、人は考えてしまいます。なにかこの世界はおかしいけれども、「それがおかしいと考えることがおかしいんじゃないか」と多くの人が疑念を打ち消すことによって、この砂上楼閣のような世界はかろうじて成り立っているのです。
成り立っているといっても、そのなかは不満で充満しています。うすうすむなしいと思いつつ仕事をしている人たちは、虚しくなさそうな人たちをことあるごとに攻撃しています。そうした人たちが、労働条件をもう少しよくしようとしてストライキでもしようものなら、容赦のない攻撃がくり広げられます。
そして、技術的条件によって仕事がどんどん不要になっていくという社会の趨勢のなかで、多数の人たちが失業状態になっていきます。そうすると、彼らに対して、残りの人たちのほとんどすべてから「怠け者」とか「たかりや」といった罵声が浴びせられます。つまり、この砂上楼閣は緊張感がみなぎっていて、いわば、ごく一部を除いて誰も得をしないというか、みんながみんなを不幸にしあう悪意のぶつけあいによって、ぐらぐらと揺れているのです。
こうしてこの観察者は、その観察の結果を日本語の文字数にしておよそ6000字程度の小レポートとしてまとめ、ウェブに公開します。その際、この世界のかなりの人たちが自らもうすうすそう感じながらやっている「どうでもいい仕事」に、「ブルシット・ジョブ」(BSJ)という言葉をつくってあてはめました。
大した仕事もせずに中抜きする代理店が、下請け、孫請け、ひ孫請け、やしゃご請けをつくる。たとえ消えてなくなっても、世の中になんの影響も与えない。むしろ、その仕事は存在しない方がマシという仕事が生まれる社会の構造は揺るがない。
「どうしてムダな仕事は増えるのか?」
私たちが「ブルシット・ジョブ」(BSJ)から解放される第一歩は、自由であるとはどういうことか、自由を実践する社会をつくるにはどうすればいいかを「考える」ことから始まる。