日本とも縁が深いエスパルガロ

そんなアプリリアにアレイシ・エスパルガロが加入したのは2017年。2015年と2016年はスズキファクトリーチームに所属していたが、契約更改ならず、行き場を探していた彼にアプリリアが接触して翌年のシートを確保した、という形の移籍だった。

200戦目と20年越しの初勝利! 劇的すぎるMotoGP第4戦アルゼンチンGPレポート_f
2009年から足かけ14年MotoGPで戦うアレイシ・エスパルガロ。弟のポルはホンダファクトリーでマルケスのチームメイト(写真/MotoGP.com) 

エスパルガロは、このとき27歳。2009年シーズンの後半からMotoGPクラスに参戦してレース経験はそれなりに豊富だったが、所属したチームはいずれも中小規模のものばかりだった。それだけに、2015年にスズキのファクトリーライダーに抜擢された際はじつに意気軒昂で、日々の取材でもあふれるほどの闘志とモチベーションの高さを示していた。この時、愛犬に所属チームの名称を取って「ズキ」と命名したことにも、彼のチームへの愛着がよくあらわれている。

当時の彼で印象的だったのが、2016年のイギリスGPだ。このレースでは、チームメイトのマーヴェリック・ヴィニャーレスが優勝した。じつはスズキは、2011年限りでMotoGP活動を休止し、2015年に復帰したという背景がある。その復活に際し、ベテランとしての経験を期待されたのがエスパルガロだった。

一方のヴィニャーレスは2015年に中排気量クラスのMoto2から昇格してきたルーキーで、将来性を見込まれた起用だった。そのヴィニャーレスがスズキ復活後初勝利を挙げたレースを、エスパルガロは7位で終えていた。レース後にエスパルガロのところへ話を聞きに行くと、満面の笑顔で開口一番、若いチームメイトの快挙を賞賛した。

「20ヶ月前にこのプロジェクトが始動したときは、スズキがトップになるなんて信じられなかった。でも、マーヴェリックがそれを達成したんだ。この20ヶ月でスズキは進歩した。それがなによりうれしいよ」

その進歩にはあなたの貢献も大きいでしょう――そう話を振っても、

「まあ、0.1パーセントくらいはね」

そう言って照れたように微笑んでから、

「でも今日の主役はマーヴェリックなんだ」

と、すぐに話題をチームメイトの快挙へ戻してしまう。能弁で喜怒哀楽を隠そうとせず、情に厚い性格の持ち主であることをよく感じさせる出来事だった。

余談になるが、エスパルガロは日本ともなにかと縁が深い。たとえば彼のバイクナンバー41は、かつて小排気量クラスで活躍していた日本人選手・宇井陽一氏が使用していたものに由来する。エスパルガロの住まいのあるアンドラでは、日本食レストランも経営している。彼はまた、サイクルロードレースの熱心なファンで、2017年の日本GP前には、ツアーオブジャパンのクイーンステージ・富士山須走口五合目までの激坂コースを登攀する脚力の持ち主でもある。

その2017年以降、エスパルガロは現在に至るまで6シーズンをずっとアプリリアで戦ってきた。上述のとおり陣営の戦闘力はけっして高いとはいえない状態で、レースも毎回厳しい結果が続いた。

2017年は年間総合15位、18年は17位、19年は14位、20年は17位。完走を果たしたレースでも優勝選手から20~30秒の大差をつけられるのは日常茶飯事で、走行中にマシントラブルでリタイアすることもけっして珍しい光景ではなかった。

だが、2021年はその傾向に大きな改善の兆しが見え始めた。6位や7位というひとケタ順位でレースを終えることが増え、優勝選手とのタイム差も5~8秒程度の範囲に収まるようになってきたのだ。そして第12戦イギリスGPで3位を獲得。これがアプリリアにとって、MotoGP初の表彰台になった。

2021年までのアプリリアは、現場のチーム運営をグレシーニレーシングに委ね、マネージメントと技術陣がチームに帯同する形を取っていた。だが、2022年からグレシーニレーシングはドゥカティ陣営へ移り、アプリリアレーシングはいよいよイタリア・ノアーレ直轄のファクトリー態勢になったのだった。