肯定も否定もしない「自己存在感」に気づいてほしい
――先ほどお話にも出てきた「自己存在感」とは、なんでしょう?
人と比べることのない自分の価値、自分の中にあるものです。「自分はこういうことが好きだな」とか、「自分はこういうことに悩んでいる」という自分の中にあることのすべてを否定も肯定もせず、あるがままの状態で受け止めること。それこそが、人と比べずに、浮き沈みなく生きることの源に繋がっていると考えているんです。
――なるほど。自分を肯定する「自己肯定感」とは異なり、あるがままの状態、自分にとってダメな部分も受け入れることが「自己存在感」なのですね。
そうです。まさに自己肯定感という言葉に疑問を抱いていたときに、文部科学省の中学校の指導要領の中に「自己存在感を育む」という言葉を見つけて、僕なりに解釈し、打ち出しました。存在していることは、偏差値やレベルをつけることはできないので、誰かと比較したり、無理に高める必要もない。自分の考えや感じていること、そういう葛藤を含めて自分の中にあるものすべてを「自己存在感」と解釈したんです。
――「自己肯定感」という言葉に疑問を抱いたのはなぜでしょう?
「自己肯定感」と「自分らしさ」というのは全く別の軸なのになと思ったんですよね。僕たちは今、「肯定しなきゃいけない」「自己肯定感を高めなきゃいけない」「成功体験を求めなくては!」というように自己肯定感の蟻地獄の中にいると思っているんですね。
実際、オリンピックに出るようなスポーツ選手も、結果を出して、オリンピックに行って、金メダルを取ることによって自己肯定感を高めようとしていますけど、でも負けることはあります。毎日勝つか負けるかにばかり目を向けていると、自己肯定感なんて下がっていって当たり前、精神的に安定していない状況になってしまいます。そう考えた時に、それを「自分らしさ」とするのは違うな、肯定的な部分も否定的な部分も含めて「自分らしさ」なのではないかと感じました。
――たしかに自分のコンプレックスをも肯定するような流れの中で「それでもコンプレックスを肯定的に考えるのは難しいな」と感じてしまう経験って、あるように感じます。
そうですよね。僕もどんどんおじさんになっていく中で「おじさんになるのも楽しいよね」という風潮を感じることはありますが、やはり「若い方がいいな」と思うことは当然あります(笑)。でも、生きていればどんどん歳をとっていくのは当然で、それはもう変えられないことじゃないですか。そうなった時に、無理にポジティブシンキングに変えたり、おじさんであることを肯定しなくていいと思うんですよ。
否定に関してもそうで、最近は「今の自分に満足すると、成長できない」という風潮がありますが、生まれたばかりの子どもってダメ出ししなくても成長していけるんですよね。
だから、ポジティブがよくてネガティブがだめとするのではなく、ポジティブもネガティブも含めて、自分が持っていることを受け止めること。そこに意味をつけたり、評価したりすることをやめませんか、ただ“在る”を見つめていきませんかということを伝えたいなと思っています。
――なるほど。『「左ききのエレン」が教えてくれる「あなたらしさ」』では『左ききのエレン』を通して、先生が伝えたい「あなたらしさ」について書かれているのですね。
はい。ただ、ジェネラルな光一がいいとも、スペシャルなエレンがいいとも書いていないのがこの本の特徴です。いろんな考えやいろんな事象を通して自分というものを見つめてみてほしい。答えを知ることを目的とせず、まずは自分自身を振り返ってみてもらうことが、あなたらしさの入口だし、自己存在感の始まりだと思っています。
――最後に読者の方にメッセージをお願いします。
『左ききのエレン』では、主役になれない光一はエレンを羨ましいと思っている一方、エレンはエレンで悩んでいます。それと同じように社会を生きていく中で、みなさんには、それぞれ悩んでいることがあるでしょう。だから、この本を読むときは1ページ目から読むのではなく、今の自分が悩んでいることと近しい言葉を目次から見つけて読むのもおすすめです。そのときの気分で惹かれる言葉の章を会社に向かう途中に読んで、自分にとっての「仕事とは?」「幸せとは?」を見つめるきっかけになっていただけたらなと思います。
取材・文/於ありさ