「ワクチンは実験、対策会議はバベルの塔」 養老孟司×宮崎徹のコロナ論_2

専門家でないからこそ「ご破算で」ができる

宮崎 私の研究にかかわる話になりますが、新型コロナウイルス感染症でなぜ一部の人が重症化してしまうかというと、感染後に肺の組織が崩れて、いろいろな「ごみ」が出て、そこに免疫系が過剰にはたらいてしまうということがあるのだと思います。だから、感染後に、そうした「ごみ」をさっと片づけてしまえば、免疫系が過剰にはたらくこともなくなる。そうしたメカニズムでの治療法ができれば、感染しても重症化はしにくくなると思います。そういうアプローチで薬を創れないだろうかと考えたりします。

養老 ぜひ、実現してください。

宮崎 ただ、私は感染症の専門家ではないので、こういう提案をすると、きっと抵抗に遭うだろうなとは思います。

養老 どんなことでもそうですよね。

宮崎 自分の経験では、外国と比べて日本ではそうした抵抗が強い気がしますね。

養老 似たようなことが、つい先日から読みはじめた、竹倉史人さんという方の『土偶を読む』(2021年、晶文社)という本に書かれてましたよ。
土偶というと考古学でよく研究されているけれど、竹倉さんは人類学者であって、考古学については素人。けれども、考古学の門外漢の目で見てみると、どうしたって土偶は人間には見えないと。では、なにに似ているかというと、縄文時代の人たちが主として食べていた植物や貝の形に似ている。そのことに気がついて、一つひとつの土偶を「読んでいく」のです。茨城県の椎塚貝塚で見つかった土偶の顔はハマグリの殻の形をしている。青森県の有名な遮光器土偶の体はサトイモをかたどったものである、といった具合に。そうして、土偶の本義は植物霊祭祀にあったという結論にたどり着きます。

おそらく、考古学者たちにはこうした発想はできなかったんでしょう。すでに、土偶の分類がしっかりとされてしまっているからね。けれども、考古学者ではない竹倉さんは、これまで考古学で築かれてきた「土偶は人間像」という前提を平気で打ち破り、「ご破算で願いましては」と言えたわけです。

いまの日本の社会が置かれている閉塞状況を打ち破るようなことに通じるできごとだと思いますね。医学には、典型的な閉塞状況があるとは思うけれど。

宮崎 そう思います。学会単位で細かく分類されてしまっていて、専門家以外の人が口を出すと、たとえ正しそうなことであっても潰されてしまうかもしれません。