『ゴールデンカムイ』を描いてきた信念

――最終回のお話に戻ります。雑誌掲載時から単行本で加筆するにあたり、アイヌのポジティブな面をさらに補強されているように思えました。何か信念があったのでしょうか?

もちろんです。現在開催されている「ゴールデンカムイ展」では僕が収集したアイヌ民具を展示しているのですが、製作者様のひとりである、藤谷るみ子さんというアイヌをルーツに持つ女性からお手紙をいただきました。数年ぶりのお手紙でした。
そのお手紙が僕の描いてきた信念の意図を端的に表していると思いましたので、以下に、その内容を皆さんにお伝えしたいです。

「平成九年に萱野茂さんによって旧土人法が廃止、その呼称がなくなったときは、とても嬉しかった。でもゴールデンカムイの本は、その時と同じくらい嬉しい。
知り合いに90歳を過ぎたおばあちゃんがいるけれど、孫にも自分がアイヌの血を引いていることが打ち明けられなかったそうです。
でもゴールデンカムイのおかげで、孫に自分が知ってるアイヌの単語を教えられる事ができるようになったと本当に本当に嬉しそうに言っていました。ゴールデンカムイはアイヌがアイヌと言いやすい状況にしてくれた。
アイヌ文化を良い意味で広げてくださり感謝です」

『ゴールデンカムイ』を描いた信念につながる1通の手紙…野田サトル1万字インタビュー#2_6
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――作品が現実社会にもとてもいい影響を与えているという実例ですね。

対称的に、僕が『ゴールデンカムイ』で露悪的に差別などネガティブな側面を強調して描けば、彼女たちが喜んでいた事実がすべて無になってしまう危険性があるとも思いました。
もちろん、藤谷るみ子さんの話がアイヌの方の総意ではありません。
アイヌにだって、和人にだって、いろんな歴史観、イデオロギーを持つ人たちがいます。ただ言えるのは、アイヌの方たちは和人とフェアな関係を望んでいる方が多いです。その思いに寄り添って、共に生きていけるようにという願いを込めて最終回を描きました。
それで救いになった人がいたというだけで僕は満足です。
ただ最近でも、アイヌをルーツに持つ若い女性とお話をする機会があったのですが、「この作品が始まって、周りから『実は自分もアイヌの血を引いている』と打ち明けてくれた方が3人もいるんです」と教えていただきました。藤谷さんのお話が僅かな一例ではないと思うのです。


――差別を強調することでアイヌがアイヌだと言えない社会に逆戻りしてしまう、そんな可能性もあると?

僕はそう思っています。連載開始前に北海道アイヌ協会さんの取材に伺いました。
そのとき「かわいそうなアイヌはもう描かなくていい。そんなものはもう読みたくない。新しいものが読みたい。強くてかっこいいアイヌを描いてくれ。臆せずにサトルくんの好きなように描け」とまで言ってくださいました。
アイヌ文化をただの素材として消費するのではなく、明るく楽しく描けば、この漫画が出来る役割はあるはずだと確信していて、僕は僕が正しいと信じたアプローチでこの作品を描いたのです。
もちろん「それは違う!」という意見もあると思います。
戦い方には様々なアプローチがあると思いますので、本当に何かのために活動したいなら、自分のやり方と自分の名前でゼロから発信すればいいと思います。

©野田サトル/集英社

#3へつづく

#1 『ゴールデンカムイ』最終巻ラストの真相
#3 ファンが最も気になる『ゴールデンカムイ』
マル秘ランキングを発表
#4 「連載が始まる頃には貯金も底をついて…」