これが近所にも伝わった。益子町の中でも、飯塚家のある田町の一角の家で食べられるようになっていく。

「ナスでもトマトでも、夏になるとみんな近くの農家さんからたくさんもらうから。ちょうどいいんだ」

いつしかビルマ汁は、ささやかな郷土料理として定着したのだ。

作り方のコツは「なあんにもない」

ビルマ汁が広く知られるようになったのは「7年くらい前からかなあ」とフミさんは言う。

「夫が商工会長やっていたんだけど『俺んちのビルマ汁、うめえぞ』ってまわりに言ってたみたいでね」

これを聞きつけた益子町のほうからアプローチがあり、ビルマ汁を町のソウルフードとして盛り上げていくことになった。田町の自治会のご婦人たちで結成された「なでしこ会」が中心となり、町内で講習会を開いて作り方を教えたり、イベントなどがあるたびにふるまったりしてきた。地元紙などでもたびたび話題になったが、フミさんは義母から学んだ半世紀前からのレシピをずっと守り続けている。

ルーツは太平洋戦争。栃木県益子町に伝わる郷土料理「ビルマ汁」がつなぐもの_3
「お義父さんは男っぷりも良くてね。一目置かれるような人だった」とフミさん。ビルマ汁を紹介した地元紙を見ながら振り返る

まずはナスとじゃがいも、玉ねぎといんげん、人参、それに豚バラを鍋で煮込んでいく。鷹の爪はお好みで。基本の味つけは塩と、それに「ほんだし」だけだ。

「ここでね、タンメンのスープの味になってればおいしくできるの」

そして野菜に火が通ったところでちぎったトマトと、カレー粉を投入し、ひと煮立ちさせたら完成だ。

「カレー粉はね、コレ」

S&Bのいたってふつうの缶のもの。簡単にそろう材料ばかりなのだ。フミさんに作り方のコツを聞いてみると、

「なあんにもない」

と大笑いする。「アクをしっかり取るくらいかな」。あくまで手軽でシンプルな、家庭料理なのだ。