ビルマ戦線から生きて帰った義父の、思い出の味

ビルマ汁が生まれたきっかけは、太平洋戦争だった。フミさんの義父、潤一さんは兵隊に取られ、ビルマ戦線に送られた。現在のミャンマーだ。インパール作戦をはじめ、過酷な戦闘の舞台となった場所である。潤一さんもずいぶんと苦労をしたらしい。しかも戦後は捕虜となって、日本に帰国できたのは終戦から1年経った1946年のことだった。

「ガリガリに痩せて、栄養失調になって帰ってきたってお義母さんから聞いた」

そんな潤一さんが懐かしがったのは、戦地で食べたあの味だ。たっぷりの野菜と、辛いスープ、それにぶつ切りのナマズやウナギを煮込んだもの……。

「きっと戦時中か捕虜になっているときか、ミャンマーの人に食べさせてもらったんじゃないかなって思う」

だからフミさんの義母は、魚の代わりに潤一さんの好物だった豚肉を入れ、当時の日本で手に入る食材で、ミャンマーの味を再現した。それを「ビルマ汁」と呼び、ずっと大切に食べ続けてきた。

ルーツは太平洋戦争。栃木県益子町に伝わる郷土料理「ビルマ汁」がつなぐもの_2
これがフミさん特製、夏にぴったりビルマ汁。器はもちろん益子焼

そんなところに、フミさんが嫁いできたというわけだ。そして義母からレシピを教わり、受け継いだ。

「はじめはビルマ汁ってなんだ、なんでトマトを煮るんだって思ったけど」

フミさん自身もすっかりその味が好きになった。潤一さんは復員当時から体調が悪く、フミさんが結婚してからわずか2年半で亡くなってしまったが、ビルマ汁は作り続けた。