なぜ今シティポップなのか? なぜ今、山下達郎なのか?

2000年代にシティポップを中心とする往年の邦楽が“和モノ”と呼ばれてクラブシーンで持てはやされるようになり、2010年代になるとceroやSuchmos、Yogee New Wavesなどの若い世代のミュージシャンが“ネオ・シティポップ”と呼ばれるジャンルを築きはじめた。
同じ頃インターネット上では、1980年代頃の音楽をサンプリングして作る“ヴェイパーウェイヴ”という新ジャンルが世界的に流行しはじめ、そこでも日本のシティポップが再注目されるようになる。
そしてヴェイパーウェイヴシーンを背景に持つ韓国のDJ・Night Tempoや、インドネシアのYouTuber・Rainychなど、シティポップを積極的に取り上げるアーティストの活動が盛んになるといよいよ機は熟し、2020年末には、1979年に発売された日本のシティポップ、松原みきの『真夜中のドア/Stay With Me』が、世界の音楽シーンを席巻するといった、一種異様な事態になった。

だが今の日本を包んでいる空気は、リアルタイムofシティポップの1980年代初頭とはかなり違う。
当時の空気感を知るために、昭和59年(1984年)に出版されたある本の一節を紹介したい。
東京大学教授(当時)の経済学者・村上泰亮による著作『新中間大衆の時代』(中央公論社)である。僕は『タイム・スリップ芥川賞』(菊池良・著 ダイヤモンド社・刊 2022年1月発売)という本で紹介されていたこの本に興味を持ち、ネット古書店で手に入れた。

嫌いだった山下達郎を今は愛してやまない理由〜私的シティポップ論_4
『新中間大衆の時代』(村上泰亮・著 中央公論社 1984年)

『タイム・スリップ芥川賞』でも紹介されていた一節の受け売りだが、『新中間大衆の時代』の“1982年夏”と題された項目に記された文を引用したい。

 最近の日本社会は、世界の中で例外的な楽園である。インフレ率、失業率、犯罪率、所得分配などほとんどの社会指標をとってもその水準は現在の世界で群を抜いている。ファッションの溢れた街を歩く若い世代の日本人ほど緊張のない無防備な表情をしている若者はほかにはいない。古い世代の日本人もようやくたどりついた豊かさにすがりつこうとしている。できることなら、外の世界から目をそむけてこの安楽さに浸っていたいという心理が拡がっている。貿易摩擦や難民問題について高まる外からの要求に対しては、聞きたくもない、知りたくもないという新しい鎖国の心理がひそかに強まっている。しかし後にも述べるように、この現代の豊かさは、かなりの部分がタイミングの悪戯の産物であり、束の間の幻影に終わる可能性も大きい。(『新中間大衆の時代』村上泰亮・著 中央公論社・刊 1982年)

いかに当時の日本の社会を包む空気が、現在のそれとは違っていたかがわかるだろう。
しかしよく考えてみると、インフレ率、失業率、犯罪率、所得分配などの社会指標を数字だけで見れば、いまだ日本は世界の優等生だ。
でも現在の日本の豊かさは、1982年のように“長年苦労してたどり着いた”ものではなく、今にも崩れ落ちそうなところを必死に維持している段階というべきなのかもしれない。

つまりシティポップが流行った1982年当時は、日本にとって幻影的な豊かさの入口であり、シティポップが再注目されている現在は奇しくも、その豊かさの出口にあたるのではないだろうか。
そう考えると背筋がゾクっとしてしまうが、とりあえず今は、山下達郎が11年ぶりにリリースした最新フルアルバム「SOFTLY」でも聴いて、まだ温もりのある夢の中にいたいと思う。
そんなやつばかりだから、日本は凋落するのだと言われるかもしれないが、まあ僕なんて所詮は、根がパンクスなもんで。

嫌いだった山下達郎を今は愛してやまない理由〜私的シティポップ論_5
山下達郎の最新アルバム「SOFTLY」(2022年)