老舗の名店や企業が語る“ドラマチックな逸話”のほとんどは「嘘」?
“食の考古学者”である彼らを悩ませる最大の強敵、それは「デマ情報」の存在だ。
「老舗のレストランや食品企業が“あの料理はうちが始まり”のようにドラマチックに語ると、つい信じてしまいがちですが、ああいうものは8、9割が嘘だと思われます。例えば、銀座のとある老舗洋食店が『洋食についてくるパセリを最初に添えたのはウチだ』という趣旨のことを言っていますが、個人的にはこれは正しくないと考えています。私が思うに、あれはイギリスの食文化とともに伝わってきた習慣で、あちらの料理書にしっかりと記述が残っているからです」
「こうした信憑性の低いと思われる情報がなぜ残ってしまうのか。必ずしも自分たちに都合のいい歴史に捏造したいからというわけではなく、先代が遺した書物を今の時代の人がきちんと読まずに口伝したり、伝えるなかで細部が変わってしまったりと理由は様々。だから、私は研究に際してフィールドワークは行いません。むしろ、フィールドワークが正しい情報を覆い隠していると思います」
お好み焼きは“天ぷらのパロディ”だった…驚愕の近代食文化トリビア
そんな近代食文化研究会は、近代食文化の意外なトリビアも知り尽くしている。とういことで、今回はそのひとつとして、互いに歴史が絡み合って生まれた「もんじゃ焼き」と「お好み焼き」の話をご紹介しよう。
このふたつ、もんじゃ焼きが関東発祥、お好み焼きが関西発祥と思う人も多いが実はどちらも関東発祥の食べ物だという。
「もんじゃ焼きは江戸時代ごろから、職人が水で溶いた小麦粉生地を屋台で焼いて鯛や亀などを形態模写していた、クッキーのような“文字焼き”という食べ物が始まりです。この文字焼きを明治時代に駄菓子屋でも焼くようになり、文字焼きが訛ってもんじゃ焼きに変化したのです」
「そして、お好み焼きもこの文字焼きにルーツがあります。明治時代の末ごろに、ある屋台が形態模写ではなく、“料理の模写”を始めたのです。オムレツやシュウマイといった料理は、当時の子どもにとっては珍しく、値段も高かったため、そのパロディとして作り出したんですね。その屋台の名前が『お好み焼き』でした」
「小麦粉の生地に干しエビやスルメを混ぜたり乗せたりして薄く香ばしく焼いた、パロディ料理のエビ天やイカ天が当時大ヒット。お好み焼きといえば“天ぷらのパロディ”となり、それが後世に残っていきました。これが現代のお好み焼きにつながっていくんです。
ちなみに、なぜお好み焼きにキャベツやソースを使うのかわかりますか? 当時はカツレツなどの西洋料理が流行っており、その付け合わせや味付けにキャベツとソースを使っていたからです。当然、屋台の『お好み焼き』でもカツレツなどのパロディを出していたので、次第に材料が混ざり合っていった、というわけです」
一方、駄菓子屋を拠点に、文字焼きから転訛したもんじゃ焼きにも、こうした天ぷらパロディブームとカツレツの要素が、逆輸入的に取り入れられて、こちらも現在のもんじゃ焼きの礎となった。