1億や2億のファイトマネーでは安い
――私事ですが、中学生の頃、自分が住んでいた兵庫県では畑山隆則対崔龍洙の第1戦や、渡辺雄二がウィルフレド・バスケスに挑んだ試合は世界戦なのに放送されなくて死ぬほど悔しかったんですよね。現在はYouTubeで配信される興行もあって、今の若い人の方がボクシングにリーチしやすい状況かもしれません。
見方によってはそうでしょうね。それに今も、井上尚弥選手のような素晴らしいボクサーもたくさんいるわけですし、決して悪い時代ではない。
――井上尚弥選手といえば、リング誌のPFP(パウンド・フォー・パウンド。米国の伝統あるボクシング専門誌が全階級のボクサーを格付けしたもの)に選ばれ、話題となっていました。
彼は別格ですね。40年以上、身近でボクシングを見てきましたが、能力という点では歴代ボクサーのなかでも最高傑作ではないでしょうか。取材するとわかるのですが、ボクシングに対する姿勢も含めて文句のつけどころがない選手。1億円や2億円のファイトマネーでは安いと感じるくらいです。彼のように、今は今できちんとスター性のある選手はいて、ボクシング人気が決して落ちているわけではないと思うんです。
――では、ボクシング・マガジンという専門誌の休刊についてはどうお考えですか?
これはメディアと競技の関係というより、紙媒体という形態の問題でしょうね。たとえば私が編集長をしていた頃の広告は……(手元にあった1990年代のバックナンバーをめくって)、なんとジムの広告だけで30P以上もある。広告ページが多すぎるという指摘もあったけれど、見方を変えればそれも情報のひとつなんです。特に地方の読者にとっては。それに実売の利益だけでなくこの広告収入も大きな収入で、当時は四国のコンビニエンスストアに試験的に並べてみるくらい収支にゆとりがあった。
でも、こういうことも「昔は良かった」という話ではなく、時代の変化なので仕方ないことだと思います。メディアの形は変わっても、今後もボクシング界でスター選手は出てくるでしょうし、人気は続いていくものだと願っています。
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取材中も、終わったあとも驚くくらい物腰やわらかだった原さん。懐が深そうで、やはり黄金期のボクマガ編集長は違う。
郡司信夫さんや原さんを見習って、自分もいつかもし、誰かに頼んだICレコーダーの取材録音ができてないことがあっても、笑顔でさらっと許せるような先輩になりたい。
原さん、そして『ボクシング・マガジン』、夢をありがとう!
#1 辰吉丈一郎の忘れられない言葉を元名物編集長が語る-ありがとう!『ボクシング・マガジン』打って打たれて66年
取材・文・撮影/田中雅大