1泊7万円の宿で、激闘直後の畑山隆則とコウジ有沢で対談企画

――一方でモノクロページでは、香川照之さんの「熱病的思考法」やジョー小泉さんの「ボクシング・アラカルト」、郡司信夫さんの「ガゼット座談会」など、個人的な考察や私見を前面に出した名物企画も多くありました。

あー懐かしいですね。香川照之さんの連載は私の前任の編集長だった山本(茂)さんの頃に始まった企画かな。誰かが招待したのか編集部に遊びに来たんですよ。まだ香川さんが東大の学生で、今は世界的なボクシングカメラマンとなっている福田直樹さん(香川さんと小、中、高校の同級生)と一緒に。

あとから聞いた話では、香川さんはそのとき「うわ、仕事でマーロン・スターリングの話をしている!」って、羨ましくて仕方なかったそうです。

『ボクシング・マガジン』休刊!元名物編集長が振り返る「疑惑の判定」_b
モノクロのページもユニークな企画が多くあった

――原さんが編集長在任中、とくに思い出深かった企画は?

よく引き受けてくれたなあと思ったのは、98年春の畑山隆則さん×コウジ有沢さんの対談ですね。2人が戦った日本タイトルマッチは凄く話題になったんですけど、その試合直後に、戦った者同士が本音で試合内容を振り返ったら面白いんじゃないかという企画で。

で、両陣営にダメもとで頼んだんですけど、どちらも快く承諾してくれて、試合の3週間後くらいに急遽対談することが決まったんです。帰宅の際に新宿でエスカレーターに乗っているときに承諾の電話をもらった瞬間は、そりゃあ涙が出るくらい嬉しかったですね。それだけでなく、畑山さんが所属していた横浜光ジムの当時のオーナーが、「せっかく2人が対談するんだから」って1泊7〜8万円もする宿を先方の負担でわざわざ用意してくれて。

『ボクシング・マガジン』休刊!元名物編集長が振り返る「疑惑の判定」_c
畑山隆則氏とコウジ有沢氏の対談記事。「試合の3週間後によく成立したよなあと今でも思う」(原さん)

――殴り合った者同士が、ぎくしゃくせずに話なんてできるものなんですか?

まあ、元々彼らは陣営同士含めて仲が悪かったわけではないし。対談そのものは2時間たっぷりやったかな。物凄く盛り上がって、終わってから宿にあったカラオケルームで、当時流行っていたKinKi Kidsの『硝子の少年』をデュエットしてましたね。それも誌面にちゃんと載せましたよ(笑)。

――逆に、これはやってしまったなという思い出は?

さっきチラと名前が出たボクシングメディアの業界で大先輩である郡司信夫さんの取材のときに、2時間全部テープが回っていなくて録音できてなかったことですかね。慌てて電話したら全く怒らず許してくれて、翌日また取材を受けてくださりました。こんな大人になりたいなあとその時強く思ったので、今日の取材、もし録音できてなくてもまた来ますよ(笑)。