編集部の備品に勝手にサインを書いて帰る
――取材を通じて、辰吉さんとボクシング・マガジン編集部との交流は深まっていたんですね。
辰吉さんも東京に来るときは「東京に来たでー」って電話くれて、よく編集部に顔を出してくれたんですよ。
――ああ、大阪から。お土産を持って。
そんなの彼が持ってくるわけないじゃないですか(笑)。彼自体が何より嬉しいお土産みたいな存在でしたから。編集部に来たら、いらないって言ってるのに勝手に机とか会社の備品にそこら中にサインをして帰ってました。彼なりの愛情表現なんですよね。
――シャイな方だったということですか?
そう、初めて大阪帝拳のジムで「ああ」と鼻で返事をされた時のことも、あとになって聞くとしっかり覚えてくれていました。「原さん、スパー見ててくれたやん。覚えてるでー」って。生意気な態度に見えたのも、彼なりの照れ隠しだったのかもしれないですね。
辰吉さんがデビューしたのは1989年で、ウィラポンとの再戦に敗れたのが1999年。私が編集長在任中の11年間とほとんど重なり、一緒に時代をともにした感慨がありますね。
#2 『ボクシング・マガジン』休刊!元名物編集長が振り返る「疑惑の判定」
取材・文・撮影/田中雅大