前編〈「日本から尻尾を振ってきた」〉プーチン択捉島上陸で露呈した対ロ外交の惨状…経産省は面目丸つぶれ、外務省は「それ見たことか」
あえて訪問を避けていたプーチンの「歴史的な日」
ロシアの最高指導者による北方領土訪問は、今回が初めてではない。2010年、メドベージェフ氏が大統領として初めて国後島を訪れた。当時、プーチン氏は首相だったが、実質的な権力は握り続けていた。
日ロ関係を長く見てきた者にとって、両氏の役割分担は明白だった。メドベージェフ氏が強硬な役回りを引き受けて日本を刺激し、プーチン氏は一段高い位置から関係全体を管理する。
メドベージェフ氏は首相時代にも北方領土を訪れ、日本を挑発する発言を繰り返した。一方、プーチン氏は島の開発や軍備増強を進めながら、自ら足を踏み入れることは避けてきた。
最高指導者自身が訪問すれば、日本との領土交渉を事実上否定する強いメッセージになる。プーチン氏が島を訪れないことには、将来の交渉余地をわずかに残す意味があった。
プーチン氏は大統領就任直後、平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本へ引き渡すとした1956年の日ソ共同宣言の有効性を確認した。この共同宣言が存在する限り、少なくとも形式上、領土問題を動かす余地は残されていた。
だからこそ、プーチン氏が訪問を避けることには意味があったのだ。
領土をめぐる2つの転換点
しかし、状況は大きく変わった。
最初の転換点は2020年のロシア憲法改正だった。領土の割譲を原則禁止する条項が盛り込まれ、島を日本へ引き渡す余地はほとんど消えた。
次の転換点が2022年のウクライナ侵攻だ。日本が欧米と歩調を合わせて対ロ制裁を導入すると、ロシアは平和条約交渉の中断を発表。元島民による墓参などの北方四島交流も停止した。
憲法改正によって法的な障壁が築かれ、ウクライナ侵攻と対ロ制裁によって政治的な接点も失われた。北方領土を日本へ引き渡す可能性は、ほぼ閉ざされた。
プーチン氏の択捉島訪問は、この二つの転換を経た後の論理的な帰結だった。
予兆はあった。プーチン氏は2024年1月、極東ハバロフスクで開かれた会合で国後島の観光開発について質問を受け、「とても興味深い場所だと聞いている。残念ながら一度も行ったことがないが、必ず訪れる」と明言していた。












