お台場は本当に“終わった”のか? 歴史から見えてきたこと

「お台場が廃墟化している」。SNSでそんな投稿が拡散された背景には、かつてのお台場を象徴していた施設が相次いで姿を消したことがある。

では、本当にお台場は“終わった街”なのだろうか。

都市や商業施設に詳しい都市ジャーナリストの谷頭和希氏に聞くと、「そう単純な話ではありません」と話す。

「廃墟化している」と話題になったのは2022年3月に閉館したヴィーナスフォート(写真/AdobeStock)
「廃墟化している」と話題になったのは2022年3月に閉館したヴィーナスフォート(写真/AdobeStock)
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「今、起きている変化だけを見ると、数々のランドマークがなくなったことで、街が衰退したように映るでしょう。でも、そもそもお台場は観光地として計画された街ではありませんでした。その成り立ちから見ていくと、現在の状況も少し違って見えてきます」

「お台場」という地名の由来は江戸時代までさかのぼる。1853年のペリー来航を受け、江戸幕府が外国船から江戸を守るため、東京湾に砲台=「台場」を築いたことに由来する。

台場公園の南端には砲台跡が残されている(写真/AdobeStock)
台場公園の南端には砲台跡が残されている(写真/AdobeStock)

現在のお台場につながる街づくりが本格的に始まったのは1980年代だ。東京都が「臨海副都心」構想を打ち出し、新宿や渋谷、池袋に続く新たな副都心として開発を進めようとしたのである。

「『臨海副都心』という名前の通り、本来の発想は観光地をつくることではなく、東京に新しい都市の拠点をつくることでした。オフィスや住宅、国際交流の機能などを備えた、新しい街をつくろうとしていたんです」

しかし、その計画は1990年代に大きな転換点を迎える。そのきっかけとなったのが、1996年に開催予定だった「世界都市博覧会(都市博)」の中止だった。

都市博の中止などを受けて臨海副都心の開発計画は見直され、東京都は、当面利用方法が決まらない土地の活用を進めることになった。

そのなかで1999年には、ヴィーナスフォートや大観覧車などからなる「パレットタウン」が開業。2003年には大江戸温泉物語も誕生するなど、多くの人を呼び込む大型集客施設が次々と生まれていった。

「都市博の中止を受けて、“この土地をどう活用するか”という段階に入ったのです。その中で、集客力のある施設が次々と出来上がっていった。今、私たちが思い浮かべる“観光地・お台場”のイメージは、この時期に作られていった部分が大きいんです」