被災地で歌い続けて15年「見てくれの支援でも、何もしないより全然いい」
「震災の後、青森の田老町から福島のいわき市のあたりまで何箇所か歌って回ったんです。『何時何分に、どこどこの駐車場で歌います』ってチラシを貼って告知して、来てくれた人の前で。多いときで50人から100人くらい、少ない時は本当に10人、20人くらいの前で、ギター1本で歌う。15年間コツコツと続けて来た」(高橋、以下同)
高橋の出身地である宮城県栗原市は、2008年の岩手・宮城内陸地震に続いての被災だった。高橋自身も心に深い痛みを感じながらの行動である。
大きな会場でのチャリティーコンサートではなく、あくまで小さな輪の中で歌う。それには理由があったという。
「避難所にいる人はみんな、テレビもつけてないんですよ。もうPTSDとかトラウマを抱えている状態で、津波の映像なんて見られないから。そんな痛みを抱えている人たちの前で、俺の歌のためにわざわざステージを作って、歌うのって邪魔じゃないかと思って。
そっとしておいてほしい、今は何も手につかない、そういう人だっている。だから来られる人だけ、来てくださいっていうやり方でずっと回らせてもらったんです」
著名人が炊き出しやボランティアに参加する姿がメディアで報じられることについても、高橋は複雑な思いを抱えていたという。
「有名な人が来て、みんなでワーッと集まるのを見て、『偽善だ』とか言う人もいるじゃないですか。でも俺は、それでもいいと思うんですよ。見てくれの支援でも、何もしないより全然いい。ただ、俺にはそういう、沢山の人を束ねる力はないから。俺なりの支援を実行したんですね」
折を見ては東京から被災地に訪れ、ミニライブを行なっていた。
2012年、震災から1年後。被災地で高橋を待っていた中学生の女の子がいた。













