「財源がない」と言う政治家ほど、バラマキは惜しまない
減税に反対する政治家が、決まって口にする言葉がある。それは「代わりの財源はどこにあるのか」。
今回の食料品減税をめぐっても、石破茂・前首相は2026年8月、地元・鳥取県倉吉市での講演で、消費税の「代わりの財源は一体どこにあるのか、ということを示さなければ」と語り、財源なき減税は無責任だと苦言を呈した。
ところが、同じ人物が、同じ場でこうも語っている。「今、困っている人たちに、わたくしは去年、減税よりも給付と申し上げた」。
減税には財源を問うのに、給付には前向きなのだ。だが、給付もまた国庫から出ていく支出であり、財源を要することに変わりはない。「財源がない」のなら給付もできないはずである。
減税には身構え、給付には財布を開く——この非対称こそが、彼らの本音を映し出している。
なぜ減税ではなく給付なのか。減税は国民の手元にそのままカネを残す。政府は一切、関与できない。一方の給付は、いったん国民から吸い上げたカネを、政府が「誰に、いくら配るか」を決めて渡す仕組みだ。
同じ「家計を助ける」でも、給付であればカネの配分権(所有権)は、政府の手に残り続ける。
本当に次世代を思うなら、やるべきことは1つ
つまり彼らが本当に守りたいのは、財政規律ではない。自分たちが握るカネそのものだ。減税に頑なに抵抗するのは、権力者として手にしているカネが、直接減ってしまうからにほかならない。
「財源がない」——その一言は、財政を憂える良心ではない。国民のカネを手放したくない側が、減税を止めるために唱える呪文にすぎないのだ。
もし小渕氏が本当に「次世代にツケを残したくない」のなら、やるべきことは1つしかない。
2011年に「速やかに法案提出する」と約束しながら、年も十余年も棚に上げてきた社会保障の給付抑制——その"減らす方"の約束を、今度こそ法案にして国会に出すことだ。
取る話だけを片づけ、減らす話を先送りし続けてきた側に、減税を「次世代へのツケ」と呼ぶ資格はない。順序が、まるで逆なのである。
消費税を上げた者が、次世代にツケを回してきた。まずその事実を認めることだ。そして納税者の側も、「財源がない」という財政規律の脅し文句に、もう屈する必要はない。
減税とは、政府に握られたカネを、国民の手に取り戻すこと——本当の意味での「次世代のための財政」は、そこから始まる。
文/オオサワ・キヌヨ













